こんにちは、インフォマティクスの空間情報クラブ編集部です。
「黄金比」のコラムでは、空間を居心地よくする要素「黄金比」をめぐる旅をしました。人が黄金比を心地よく感じるのは、それがDNAに仕込まれているからだとも言われています。
今回は、自然界に仕込まれたもう一つの心地よさの要素「1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ」をたどる旅へ出かけてみたいと思います。
目次
「ザー」という音にも違いがある
パソコンのスピーカーから聞こえる「ザー」という音。雨が降るときの「ザー」、打ち寄せる波の「ザー」。文字にすれば同じ「ザー」でも、鳴り響く空間や耳にする状況によって私たちの感じ方はまるで違います。
たとえば喫茶店で人を待つとき。
ただ白い壁を眺めているのと、そばに熱帯魚の泳ぐ水槽があるのとでは、時間の流れ方すら違って感じられます。
なぜパソコンからの「ザー」はうるさく感じるのに、雨や波の「ザー」は心地よいのでしょうか?なぜ熱帯魚のいる水槽は、見る人の心を穏やかにするのでしょう?
癒しやリラックスと1/fゆらぎ
自然界にあるものには、必ず「ゆらぎ」が存在します。一見すると一定に見えても、実際にはわずかな変動を繰り返していて、完全に一定な自然物は存在しないのです。
この「ゆらぎ」が大きすぎると、予想外のことが起こりやすくなり、人は不安を感じます。反対に、ゆらぎが小さすぎると、安心感はあるものの単調すぎてやがて飽きてしまいます。
1/f(えふぶんのいち)ゆらぎは、その中間にあたります。規則性と予測不能な変化、安心感と意外性がほどよく交じり合い、心地よい空間や情報として私たちに働きかける。そのため、1/fゆらぎには人の心を落ち着かせる効果があるといわれています。
1/fゆらぎ(エフぶんのいちゆらぎ)とは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。ただしfは 0より大きい、有限な範囲をとるものとする。
(出典:Wikipedia)
ゆらぎの歴史
ここであらためて、ゆらぎについて物理的・数学的な観点から簡単におさらいしてみましょう。
自然界に存在するゆらぎが発見されたのは、今からおよそ80年前のこと。電気伝導体に電流を流した際、抵抗値が一定にならず、不規則に揺れ動いていたことがきっかけでした。
波長をもつもの(例:光、音楽、電気信号)や、動きをともなうもの(例:蝶の羽ばたき、魚の泳ぎ、風、炎)は、その波形や軌跡をフーリエ変換によって複数の正弦波の合成として表すことができます。
つまり、どんなに複雑な動きや形でも、それは周波数(f:振動の多さ)とパワー(P:振動の強さ)が異なる、大小さまざまな正弦波の組み合わせでできているということです。
この正弦波の構成要素を、周波数の小さい順に並べたとき、パワーが周波数に対してきれいに反比例し、グラフにすると傾き45度の直線になる。そのような関係性を持つ波形が「1/fゆらぎを持つ」と定義されます。
言い換えれば、高音や素早い動きには小さなパワー、低音やゆっくりとした動きには大きなパワーが与えられ、それらがバランスよく配分されているともいえます。このような波形や運動こそが、1/fゆらぎの本質なのです。
モーツアルトと1/fゆらぎ
1/fゆらぎがあるといわれるモーツァルトの音楽を、あらためて聴いてみました。
不要なものを片づけ、すっきりと整った部屋に、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』の旋律が流れ出した瞬間、空間がやわらかな安心感に包まれ、心がふっと軽くなるようなリラックスした気分が広がっていきました。
1/fゆらぎは「ピンクノイズ」とも呼ばれていますが、その呼び名にも何か秘密が隠されているのかもしれません。
焚き火やろうそくの炎、小川のせせらぎ、木々のそよぐ音。
そうした1/fゆらぎを持つものに触れていると、私たちは時(とき)の存在を忘れてしまいます。
1/fゆらぎに、対極ともいえる“規則正しく刻まれる時間”を忘れさせる力があるというのは、なんとも不思議なことです。
ゆらぐと困るもの
文明が進歩すればするほど、人は「ゆらぎ」を排除しようとしているようにも見えます。
手作りの品から、工場で作られる規格品へ。野菜は大きさをそろえて出荷され、森は伐採されて公園となり、街路樹は等間隔に植えられる。
大量生産や工業規格によって作られる人工物の多くは、いかに「ゆらぎ(=規格外)」を排除するかに注力してきました。
私たちの日常でも、「ゆらぎがあると困るもの」はたくさんあります。たとえば階段。一段だけわずかに高さが違うと、つまずきやすくなります。定規や秤といった計測器にも、当然ながら「ゆらぎ」はあってはなりません。
時間の刻みもまた、一定です。
しかしその一方で、天体の軌道運動をはじめ、宇宙を構成するあらゆる分子の動きには「ゆらぎ」があります。私たちが使っている時計は、本来ゆらいでいる天体の動きを、人工的に補正して一定のリズムに刻み直しているのです。
「ゆらぎ」の仕組みが解明されれば、それを人工的に再現することも可能になります。たとえば、街路樹を1/fゆらぎの間隔で植えることや、シンセサイザーで完璧な1/fゆらぎの音楽を作ることもできるのです。
しかし、1/fゆらぎがあるからといって、それが必ず「心地よい」と感じられるとは限りません。状況や心理状態によっては、鳥のさえずりや風鈴の音がうるさく感じられたり、風や波の音が気になって眠れないこともあるでしょう。ここにも、「人が空間から受け取る情報は一方通行ではない」という事実が現れています。
「なんだか心地いい」と感じるものが、結果的に1/fゆらぎを持っていることはあるかもしれませんが、逆に「1/fゆらぎがあれば必ず心地よい」とは限らないのです。
モーツァルトやバッハも、1/fゆらぎを意識して作曲したわけではありません。ただ、内から湧き上がる心地よさへの感覚や衝動に従って音楽を紡ぎ、その結果として作品に1/fゆらぎが現れていたのです。
1/fゆらぎが心地よいのはなぜか
人間の心拍リズムにも、1/fゆらぎが見られます。正常に機能している心臓は、単に規則正しく鼓動しているわけではなく、1/fゆらぎを伴って私たちの生命活動を支えているのです。
脳波のα波に見られる周波数のゆらぎもその一例ですし、神経細胞が発する生体信号の電気パルスの間隔も1/fゆらぎだといわれています。
こうした「心地よさ」の背景には、生体の内部にあらかじめ組み込まれた情報が関係していると考えられています。それは、黄金比に惹かれる私たちの感覚にも通じるものがあるかもしれません。
1/fゆらぎは、宇宙のあらゆるものの動き方に共通する“根本的な法則”に近いともいわれていますが、その起源や仕組みは、いまだに明らかになっていません。