コラム 地図・地理 地図マニアな日々 新型コロナ

空間疫学とGIS(地理情報システム)|保健医療と情報の可視化

新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが続く中、世界中がこの感染症とどのように向き合うかを模索している。

ロックダウンのように生活に厳しい制限を加える国もあれば、我が国のように自粛を呼びかけることでガイドラインのもと企業や個人が感染拡大を防ぎつつ経済を回せるよう、働き方や生活を工夫しながら新しい生活様式を模索する例もある。

その一方で、国や自治体、研究者らは感染の状況を把握し、感染経路を究明して感染拡大への効果的な対策を打ち出すべくさまざまな分析を重ねている。

本稿ではいくつかの主要感染病における「空間疫学」の応用について考察してみたい。

空間疫学とは

コロナ禍で大きな役割を果たしているのが「空間疫学」だ。

空間疫学は疾病の発生状況など、私たちの健康に関連する事象の地域的または時間的な分布や傾向を調査・分析することで、感染症等の発生リスクに特定の場所や時間がどう関与しているのかを研究する学問である。

ジョン・スノーのコレラマップ

疫学を空間的に捉えるというのは、まさにGIS(地理情報システム)が得意とする役割である。

実際にGIS活用の定番として、さまざまなGISの教科書に登場する著名な事例がある。ジョン・スノーのコレラマップだ。

19世紀半ば、ロンドンのソーホー地区にあるブロード・ストリートでコレラが大流行して多くの死者を出していた。

当時コレラが細菌を原因とすることがまだ確立していない中、ジョン・スノーは細菌に汚染された水により感染していると仮定して、コレラ患者の発生した家と井戸(水道ポンプ)の関係を分析した。

コレラ患者の家を地図上にプロットすると、患者が特定の水道ポンプの周囲に集中して分布していた。

水の使用とコレラ発生に相関があるとして該当する水道ポンプを使用停止にしたところ、コレラは収束に向かう。スノーは空間分析により、疾病の原因を突き止めたのである。

この事例は資料が残る世界最初の空間解析とされ、空間疫学のはしりともいわれる。

ジョン・スノーのコレラマップ(出典:Wikipedia)

この当時はもっぱら紙の地図を使った解析だったが、現在ではGISを活用してさまざまなデータと重ねた分析が可能になっており、GISは空間疫学における重要なツールとなっている。

たとえばデング熱やマラリアは環境との相関が大きく、地球温暖化による感染地域の拡大もあり、対策には空間疫学的なアプローチが不可欠といわれている。

近年ではGISで衛星リモートセンシングデータを活用した解析が盛んに行われるようになり、各国で専門機関の設置も進んでいる。

2003年のSARSと2009年の新型インフルエンザ流行

日本では1897年に伝染病予防法が制定され(1998年に感染症法へ移行)、患者の発生情報の収集は継続して行われてきた。

20世紀初頭のスペイン風邪のパンデミックにおいても、当時の報告書で時系列と地域ごとの患者数の情報が収集されている。

こうした情報を視覚化することはこれまでもされてきたが、収集した情報をさまざまなデータと融合して多角的に分析して感染症サーベイランスに活用するという点では十分ではなかった。

こうした中、空間疫学が大きな注目を集めたのが2002年から2003年にかけてのSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行だ。

患者のコンタクトトレース(接触追跡)と隔離政策が功を奏して流行を短期間で収束させることができたのは、空間疫学の知見によるところが大きかった。

2002年11月~2003年7月の世界におけるSARS発生状況(出典:外務省ウェブサイト)

2005年には鳥インフルエンザが世界的な流行を見せ、国内でも政府が鳥インフルエンザ対策省庁会議を設けている。

この頃には日本でもパンデミックを想定し空間疫学に基づいたさまざまなシミュレーションが行われるようになっており、とりわけパーソントリップ調査のデータをもとに人の移動の感染拡大への影響について社会的実情を考慮した分析がされるようになったことは特筆される。

参考

パーソントリップ調査とは、「どのような人」が「いつ」「どのような目的」で「どんな交通手段」で「どこからどこへ」移動したかについての調査のことをいう。無作為抽出で調査票に回答する形で実施される。

この時には、地域封鎖(ロックダウン)による感染拡大防止の効果についてもシミュレーションされたという。

さらに2009年には豚インフルエンザ由来の新型インフルエンザが世界的に流行した。

国内でもカナダから帰国した高校生から初めて感染が確認され、当初は強制入院の対象となったが、後に季節性インフルエンザと同様の扱いとなり、感染者数の全数把握からクラスターサーベイランスへ移行している。

2010年11月までに203人の死者が発生しているが、基礎疾患を持つ患者がほとんどだった。

結果としてこの新型インフルエンザが日本で猛威を振るうことはなく、大量に備蓄されたワクチンが使われなかったこともあり、対応策への批判が高まることとなった。

2009年新型インフルエンザの患者発生数の推移(出典:国立感染症研究所ウェブサイト)

こうした対応の混乱を受けて、2012年には新型インフルエンザ等対策特別措置法が制定されることになる。

2020年新型コロナウイルスへのクラスター対策班の対応

そして2020年、新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大した。日本ではクラスター対策を重点的に行う方法で対応した。

厚生労働省ではクラスター対策班を設置することで、クラスターの動向を監視しながら、日々入手するデータをマップにより視覚化したうえで疫学的分析を行う空間疫学の手法が活用している。

なかでも、それまでの空間疫学と大きく異なるのは、スマートフォンなどのモバイルデバイスから取得される人流ビッグデータと、その解析を支援するAIの存在だ。

クラスター対策班では感染者のデータを人流データと組み合わせることで、クラスターの感染経路を推定、またクラスター化する可能性のある場所を抽出して対策を検討に活かしている。

もっとも、さまざまなデータを扱うがゆえの課題も多いという。たとえば、あがってくる感染者情報には統一基準がなく、自治体からの感染者情報もそれぞれ解像度が異なるため、そのままでは使えず扱いが難しい。

また、国(厚生労働省)の仕事とはいえ、所管が異なるデータを勝手に使うわけにもいかないなど、手続き的な壁もあるという。

こうした問題をクリアして空間疫学のポテンシャルを活かすには、恒常的な専門機関を設けることも必要になる。

接触確認アプリ「COCOA」は有効か

そして2020年6月には新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」がリリースされた。

COCOAは感染陽性者との一定以上の接触があったかどうかがわかるアプリで、GoogleとAppleが共同で開発した技術をベースに、OSS(オープンソースソフトウェア)コミュニティの有志が開発を手がけている。

このアプリでは陽性と判定された人が医療機関を通じて得た専用の「処理番号」をアプリから登録することで、陽性者が過去に15分以上、1m以内に近づいていたことのあるユーザーに対して「接触があった」旨をプッシュ通知する。

通知があった場合は、医療機関への受診をすすめる内容が表示され、感染拡大防止に向けた行動を速やかにとることが可能になるというものだ。

このアプリのしくみは、インストールしているユーザーが多ければ多いほど効果を発揮することになるだけに、どれだけインストールするユーザーを増やせるのかがカギを握っている。

国民の6~7割程度がインストールする必要とされるが、スマートフォンそのものの普及率(総務省令和元年情報通信白書によれば2018年で79%程度)を考えれば、言うほど簡単ではない。

また、COCOAでやりとりされる情報は、アプリが生成する識別キーと感染者と接触した日付、接触した時間の長さ、Bluetooth信号の強さ(接触距離)のみである。個人情報に配慮しているため、GPSによる位置情報は使用しない。

したがって、どこで接触したのかという場所の情報はわからないし、もちろん誰と接触したのかもわからない。そういう意味では本来の空間疫学的アプローチとはやや異なる。

関連

2022年9月13日、河野太郎デジタル大臣は「COCOA」の機能を停止する方針を明らかにした。COCOA機能の停止は、新型コロナ感染者情報を管理する「HER-SYS」システムの運用見直しに伴ったもの。詳細が決まり次第知らせるとのこと。

新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」(出典:厚生労働省ウェブサイト)

情報公開の難しさ、危うさ

感染者の位置情報を活用した空間疫学は、感染拡大を抑えるのに有効であることは間違いないだろう。

その一方で解析結果を公開する際の見せ方は非常に難しい。個人情報との兼ね合いがあるからだ。

実際に感染者やその家族にいわれのない偏見や差別の目が向けられることが問題になっている現状は、こうした情報の公開がいかにセンシティブであるかを示している。

多くの研究者はその点においては非常に慎重であり、解析結果の公開には神経を尖らせている。

しかしインターネット上には、さまざまな感染者情報を地図化したサイトが公開されており、(善意でアップしているのであろうが)なかには表現方法が適切でないものも含まれる。

地図で表現するという視覚化手法は、わかりやすい反面、誤解を生むケースも多い。

たとえば感染者の空間分布には、多くの場合、都道府県単位の色分けが用いられている。しかし、それでは十分でないと感じる人が多いのも事実で、もっと解像度の高い地図が見たいという声もあるし、そうした(空間統計的に補間した)地図も公開されている。

しかし、マラリアのように環境が感染拡大に関与する度合いが大きいケースならまだしも、今回のように人から人へ感染が拡大する場合では、分布は人口密度と交通網に依存するのが一般的である。

COCOAの仕様が位置情報を使わずに「感染経路を追う」ことに徹底していることを見ても、「感染者の分布」を知ることは必ずしも感染拡大抑制に寄与せず、むしろ差別や偏見の助長につながりかねない。

誰もがデータを扱える時代なればこその難しさでもある。

関連情報

GISNEXT 第71号

ネクストパブリッシング社発行の「GISNEXT第71号」では、「新たな感染症といかに向き合うか」を特集テーマとして、ビッグデータやAIとも連携した空間疫学研究の最新動向が紹介されています。ぜひご覧ください。

GISNEXT第71号の概要はこちら >>

書籍紹介

ビジュアル パンデミック・マップ

本書ではコレラ、天然痘、エボラ出血熱、SARSなど、これまで大流行した伝染病を解説。

当時のイラストや写真、最新データをもとに感染経路や終息例、感染地域がわかりやすく地図化されています。

この本を詳しくみる

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

遠藤宏之(えんどうひろゆき)様

地理空間情報ライター(地図・地理・測量・GIS・位置情報・防災)、測量士、GIS NEXT副編集長 著書:『三陸たびガイド』『地名は災害を警告する』『首都大地震揺れやすさマップ』(解説面)『みんなが知りたい地図の疑問50』(共著)他

あわせて読みたい

-コラム, 地図・地理, 地図マニアな日々, 新型コロナ
-,