前回のジョン・ネイピア数e誕生物語に真なるピリオド「・」を打つときがきました。
目次
小数導入に成功した偉人ステヴィン
小数の考え方はネイピア(1550〜1617)とほぼ同時期のシモン・ステヴィン(1548-1620)によって考えられました。
シモン・ステヴィン(1548-1620)
ステヴィンの小数の表記法が普及することはありませんでしたが、これが人類がはじめて目にした小数でした。
現代人にとって、小数および小数点はあまりにも身近であるがゆえに容易な存在です。小数がなかった時代を誰が想像できるでしょうか。
人類は有史以来、ほとんどの時代を小数なしに生きてきました。私たちが小数を使いはじめて、まだ400年しか経っていません。
それほどに十進小数ならびに小数点の発明は偉業といえます。
ステヴィン小伝
オランダ人であるシモン・ステヴィンは1548年にベルギーで生まれました。その2年後に、ネイピアがスコットランドで生まれています。
小数の概念という数学の業績に注目するならばステヴィンは数学者といえます。しかし、彼が取り組んだ分野は、物理学、天文学、会計、音楽理論と多岐にわたります。
彼の業績を著書とともに見ていきます。
1581年『組合企業の計算に関する新発明』
ステヴィンは生涯を通じて財政上の問題に関わっていました。青年時代は、会計出納係として働いていました。この本の中には複式簿記についての記述を見つけることができます。
15世紀、イタリアのルカ・パチョリ(1445〜1517)によって発展したのが複式簿記です。ステヴィンは企業会計として複式簿記の必要性を見抜いていました。
1582年『利子表』
ステヴィンの時代、利子の算定は秘密主義の中にあり、公にされることはありませんでした。この本の中で、ステヴィンは元金、利子、単利、複利の定義を説明し、複利の数表を計算し公表しました。
10000000単位の資本に対して複利2%の利率が掛けられた場合の30年間分の利子の表を作成しています。
ここで、10000000という数にピンときます。前回紹介したようにネイピア数に登場したのもこれと同じ10000000でした。
小数がないこの時代、7桁の有効数字を実現するのが上限の数10000000です。扱える数が0から10000000の範囲の整数でした。
1583年『幾何学問題集』、585年『十分の一法』
1585年『十分の一法』
かくして、ステヴィンは小数の概念に到達し、この本の中で発表されました。ネイピアが対数表の計算を開始する1594年の9年前のことです。
小数を表すのに、小数点ではなく⓪、①、②、③というような丸囲み数字を数字の間に挿入するという記数法です。
99⓪1①2②3③4 → 99.1234
確かに、この記数表自体は使いやすいものではありません。しかし、この本の中でステヴィンが主張したことは、十進法の導入、計算規則と単位の統一でした。
本は次の謝辞で始まっています。
天文学者、測量士、絨毯計測士、ワイン計量官、体積を測る専門家一般、造幣長官、そしてすべての商人にシモン・ステヴィンは幸運を祈る。
ステヴィンの目指したことは度量衡革命だったのです。
メートルがフランスによって作りだされる1800年前後の215年も前に、ステヴィンは統一という“革命”に着手したということです。
ステヴィンの『十分の一法』は、ネイピアとブリッグスにも読まれています。十進法や計算規則と単位の統一というステヴィンの“革命”の思想は彼らに影響を与え、対数と小数点の発明につながっていったのでした。
1585年『算術』
ステヴィンはこの本の中で、代数学を展開しました。多項式の表し方と二次、三次、四次方程式の解法が述べられています。
ステヴィンによる多項式の表記法は次のようなものです。
2x3+3x2+6x+4 → 2③+3②+6①+4
1586年『計量法原論』『水の重量についての原論』
「力の平行四辺形の法則」はステヴィンによる発見です。
ステヴィンは古代ギリシャのアルキメデスが研究した「つり合いの原理」を発展させる研究を行う中で、力のベクトル合成、水圧、テコの原理の証明を行っています。
ついには、永久運動の不可能を証明して“力の平行四辺形の法則”の発見に到りました。さらに驚くべきことに、あのガリレオよりも早い時期に「落下の法則」を発見しています。
この2冊は力学に重要な革新的な寄与をなす、古代ギリシャ以来初めての著作といえるものでした。
1594年『築城術』、1599年『港湾発見法』、1617年『軍陣設営法』『水門による要塞建築の新方式』
ステヴィンが風と水の国オランダに生きたことが、彼の特許を申請した風車、水門などの発明に反映されています。
また、航海術においては、帆走する船が描く曲線──航跡──について、球面三角法に基づいた解説をしています。ネイピアと同じ大航海時代を生きたことが伺えます。
1605年『歌唱法の理論』
ステヴィンは、はじめて「平均律」の計算を行った人物です。
ドから1オクターブ上のドまでの音階を12分割する音律で12平均律とも呼ばれます。
いずれ連載で音律の話題を取り上げたいと考えているので、詳細はここには述べませんが、平均律の設計のポイントは「2の12乗根」の精確な計算にあります。
21/12=1.05946309435929…
この計算ができてはじめて平均律によるドレミが出来上がります。現在の音楽は平均律で作曲されています。
ステヴィンはこの計算を完璧にはできませんでしたが、現在の音律があるのはステヴィンの「2の12乗根」の計算だったと言えます。
以上がステヴィンという人物です。
経済学者のさきがけとして、技術者・発明家として、さらには音楽理論のデザインまで。
ステヴィンを一言で言い表すことなどできるのでしょうか。それが冒頭で紹介した“偉人”ステヴィンなのです。
ステヴィンの人生を振り返ったとき、小数概念の発明は一つの仕事にすぎません。しかし、同時に彼のようなスーパーマンだったからこそ、小数を考えることができたのです。
ジョン・ネイピア小数点 誕生物語
ステヴィンがオランダで活躍する同時期に、ネイピアは遠く離れたエディンバラのマーキストン城で対数表の計算を続けていました。
ジョン・ネイピア(1550〜1614)
1614年、20年かけた計算は1冊の本として発表されました。
『Mirifici Logarithmorum Canonis Descriptio』(奇蹟の対数法則の記述)の中で、対数とは何なのか、対数の利用方法、そして対数表を発表しました。
『Mirifici Logarithmorum Canonis Descriptio』
(奇蹟の対数法則の記述、ラテン語、1614年)
前回の連載で紹介しましたが、「対数とは回数」であり、「対数とは指数」のことです。
この本が出版された3年後、ネイピアはマーキストン城で亡くなりました。
ネイピアの死後、明かされた舞台裏
1614年の本の中では、対数表をいかに計算して作ったのか、対数表完成までの舞台裏までは述べられていません。
対数の定義から三角法への応用方法、そして対数表という結論だけが淡々と記されてありました。すべての数値は整数で。
しかし、その舞台裏では対数と同じくらいの威力をもった新しい数学の言葉が誕生していました。それが小数点「・」だったのです。
ネイピアがこの世を去ったのが1617年。その2年後、1619年に息子のロバート・ネイピアによって、ネイピアの対数表の舞台裏が明らかにされました。
それが著書『Mirifici logarithmorum canonis constructio』(奇蹟の対数法則の仕組み)です。この中に小数点「・」を見つけることができます。小数点を用いた数の表記について解説されています。
『Mirifici logarithmorum canonis constructio』
(奇蹟の対数法則の仕組み、ラテン語、1619年) 小数点「・」の記述
まさしく、それは現在わたしたちが日々使っている小数点「・」です。ネイピアはステヴィンの小数は使いづらいと判断し、もっと機能的で使いやすい小数の表記法を求め続けました。
20年にわたる膨大な計算の末、小さな小数点「・」が誕生しました。
小数点がなかった時代
人類は数をいかに表してきたのでしょうか。
現在使われている十進数および十進記数法でさえ、普及するのに千年以上の年月を必要としました。
バビロニアの粘土板 YBC 7289
2の平方根の近似値(紀元前1800~紀元前1600ごろ)
4000年前の「バビロニアの石板」に刻まれていたバビロニア数字は「1,24,51,10」を表していました。
これを翻訳すると
1 + 24/60 + 51/602 + 10/603 = 1.41421296…
となります。60進法で1よりも小さい数値を表していたのです。
そして2/3のような棒を用いた分数が登場するのは15世紀になってからのことです。
イノベーションとは何か
「星」を測るための三角比があり、千年以上かけた三角比の発展と大航海時代の到来で、天文学的計算の克服が社会的課題となってネイピア数logarithmsにつながり、そこから小数点「・」が誕生した。
まさしく数学とは人が紡ぎ出す物語です。
さて、数学という物語はイノベーションの物語といえます。わが国ではイノベーションは技術革新と訳されますが、それはイノベーションの狭い意味であり本当の意味ではありません。
イノベーションとは、それまでになかった技術、仕組み、新機軸を創造し既存の仕組みや在り方を一変させることです。
さらに、創造とは、社会的意義ある新しい価値の創造を意味しています。社会に変革をもたらすという大きな意味を持った言葉がイノベーションです。
数学は概念を創造するという意味でイノベーションなのですが、ここには発明と発見の重要性が浮かび上がってきます。
ネイピアは1614年の本で自らを発明者(inventor)と呼んでいます。対数という概念は結果として発見と説明できます。
そういう意味で数学は発見であり、発明ではありません。したがって、発明に与えられる特許は数学の定理には与えられないのです。
しかし、ネイピアの人生は発明の連続でした。
ネイピアは、計算機だけでなく、武器、肥料も発明しています。「水中を走る攻撃用武器」「遮蔽された軍隊用二輪馬車」とは、それぞれ潜水艦、戦車のことです。
発明者であり技術者であったネイピアだからこそ、数学の中でも発明を行っていったのです。対数表を作りあげるために数々の計算の技術を発明しながら。
発明に支えられて作られた新しい道具が、結果として概念となり発見となるのです。
まさに、ステヴィンもまた発明者・技術者であったからこそ、数学のイノベーションである小数概念を成し遂げたといえます。
さらに遡れば、古代ギリシャのアルキメデスもそうです。彼は物理学者、天文学者、技術者、発明者、そして数学者でした。
このように、ジョン・ネイピア物語は、数学におけるイノベーション、発明、発見が絡み合っていく様子を私たちに教えてくれます。
ネイピア数は理解しづらく使いにくいため普及しませんでした。しかし、皮肉にもそこから生みだされた小数点は理解しやすく使いやすく、見事に普及しました。
小さな小数点「・」が教えてくれる大きな物語が、数学というノンフィクションなのです。
人類社会はいつの世もイノベーションを必要としています。400年前、対数や小数点というイノベーションが時代を変え、その影響は今日もなお続いています。
ネイピアは1614年の対数表に奇蹟と名付け、logos(神の言葉)から対数(logarithm)という言葉を作りました。奇蹟は今も続いています。対数の凄さを400年後の私が実感できているという奇蹟です。
すべての始まりは星でした。夜空に輝く星、その光の点が小数点に変換される物語だったのです。
この物語は私たちに大切なことを教えてくれています。イノベーションを成し遂げるとはどういうことなのかを。