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アインシュタイン方程式 1917年版
アインシュタイン自身が“1916年版”を解いてみると…
前回紹介したアインシュタイン方程式には1916年版と付記されているのは、それ以外の版があり2つを区別するためである。それが今回紹介する1917年版である。
アインシュタイン自身が“1916年版”を解いてみると意外な結論が出現した。一様で等方的な宇宙モデルを表す解をつくってみると、その解は必ず膨張、あるいは収縮してしまうという結論だ。
当時アインシュタインは、宇宙は無限の過去から無限の未来まで大きさが変わらないと考えていた。これを静止宇宙モデルという。この時点で、宇宙が膨張しているとする観測はなかった。重力などの影響を考慮すると宇宙が収縮してしまうことは静止宇宙モデルと相容れない。どうするアインシュタイン!
“1916年版”+宇宙項=“1917年版”
原因の重力は引力である。引力を打ち消すように時空に斥力を持たせることができればプラマイキャンセル!静止宇宙モデルが実現する。アインシュタインは宇宙項と呼ばれるΛgμνを“1916年版”の左辺に加えた。
宇宙項は宇宙定数Λと計量テンソルgμνの積である。Λが正であれば時空は斥力を持ち、Λが負であれば時空は引力を持つ。アインシュタインは時空に斥力を持たせるために宇宙定数Λを正と考えた。これが冒頭のアインシュタイン方程式1917年版である。
宇宙項にはアインシュタインが予期しない物語が待ち受けていた。それを語る前に“1916年版”のその後を追いかけてみよう。
1919年、太陽の重力場により光は曲がった!
“1916年版”の検証のためにアインシュタインは2つの計算をした。水星の近日点移動の解明と太陽の重力場で光線が曲がることである。水星の楕円軌道のずれ(近日点移動の大きさ)はニュートン力学ではその実測値の説明ができなかった。太陽の重力場がその原因であることを“1916年版”から説明することに成功した。
1919年5月29日にイギリスの天文学者アーサー・エディントン(1882-1944)が皆既日食を利用して、一般相対性理論により予測された太陽近傍での光の曲がりの確認に成功した。実測値と“1916年版”によるアインシュタインの予測値が統計誤差の範囲で一致することが確かめられた。
1922年、フリードマンが“1916年版”を解く
アインシュタイン方程式が世に知れ渡ると物理学者はこぞって解きはじめた。1916年にカール・シュヴァルツシルト(1873-1916)によって最初の“1916年版”特殊解(シュヴァルツシルトの解)が発見され、ブラックホールの存在を示唆するものであった。
1922年にロシアの物理学者・数学者アレクサンドル・フリードマン(1888-1925)は“1916年版”を解いて、膨張宇宙解を発見した。それがフリードマン方程式である。
フリードマン方程式
ここに、a(t)は、宇宙のスケール因子(膨張因子)と呼ばれる量で、時刻tでの宇宙の大きさを相対的に示す量。Kは、時空に仮定する曲率で、曲率の正・負・ゼロに対応して、k=+1、−1、0の値をとる。物質分布は完全流体であると仮定したときρは密度を表す。そして、G、c、Λはそれぞれニュートンの重力定数、光速、宇宙定数である。
ここでaに・がついたのは、a(t)の時間微分da(t)/dt を表す。フリードマン方程式の中に宇宙の膨張率を表すパラメータが含まれている。宇宙のスケール因子a(t)から定義されるハッブルパラメータH(t)である。H(t)は時刻tのハッブル定数とも呼ばれる。
ハッブルパラメータ(宇宙の膨張率)
このハッブルこそアインシュタインを悩ませる存在となる。
1929年、ハッブルの衝撃
1929年、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブル(1889-1953)が、銀河からの光が宇宙膨張に伴って赤方偏移していることを発見した。宇宙全体は膨張していて、遠くの銀河ほど遠ざかる速さは大きくなる。ハッブルの法則である。
銀河を精密測定することでハッブル定数Hはわかる。ハッブルの法則を、銀河までの距離とその銀河が遠ざかる速さの関係で表すと次のようになる。
銀河が遠ざかる速さ=H×銀河までの距離
ハッブルの法則
(銀河までの距離)÷(銀河が遠ざかる速さ)が銀河が進むのにかかった時間になることとハッブルの法則から次が導かれる。
時間=銀河までの距離÷銀河が遠ざかる速さ=1÷H
この時間が宇宙の年齢に他ならない。ハッブル定数Hから宇宙の年齢がわかる。ハッブル定数は毎年のように高精度な値がわかってきていて、約70(km/秒)/メガパーセクである。
メガパーセクは天文学で用いられる長さの単位で、1パーセクは約3.26光年。1光年は約9兆kmだから、約3.26×約9兆km=約30兆km。1メガパーセクはその100万倍で、約30兆×100万kmである。
アインシュタイン「生涯最大の失敗」=宇宙項をつけたこと
ハッブルの発見は、“1916年版”およびフリードマンの膨張宇宙モデルが実証されたことを意味した。アインシュタインは宇宙項を加えたことが誤りであるとし宇宙項の導入を取り下げた。このときにアインシュタインが語ったとされるのが「生涯最大の失敗」という言葉である。
この言葉から思いだされることがある。1919年に日食観測の成果と報告を王立天文学協会と王立協会が行った。王立協会会長の物理学者サー・トムソン(1856-1940)は、開会の辞において、アインシュタインの理論は、人類の思考の歴史における最大の業績の一つであると賞賛した。アインシュタイン方程式はまさしく“最大”の発見だったのだ。
復活した“1917年版”
宇宙が膨張していることは年を追うごとに観測精度が向上していきそれを疑う物理学者はいなくなった。アインシュタインの言うとおり宇宙項の導入は誤りかと思いきや、実は現在、宇宙項は復活している。
正確に言えば、宇宙項をなくすこと(宇宙定数Λ=0)が理論的にできないということ。現在の宇宙の膨張は加速していることが発見されたため、宇宙を加速させるための空間を反発させる力(斥力)が必要となる。すなわち、宇宙項が必要になる。
アインシュタインが“1916年版”に宇宙項の導入した時と同じ状況が再び起こったことになる。この場合の宇宙定数Λは非常に小さく、実際の観測値も小さい。
宇宙を加速させるためもう一つの考え方に暗黒エネルギーがある。はたして暗黒エネルギーから推定される宇宙定数Λは非常に大きい値になる。宇宙項(宇宙定数Λ)はあることは間違いないことはわかってきたが、その値の謎解きはこれからだ。
宇宙項が復活することを知ったあの世のアインシュタインは何とコメントするのだろうか。「(宇宙項を導入しておいて)よかった」ではないだろうか。