地図を編む ~マップル・ルーツをたどる旅~ 第五回

標準

2014年8月15日


第五回 地図注記の表記について ―アイデンティティとのせめぎ合い―


民間の道路地図や都市地図には、実に数多くの、また、多様な目標物が注記として配置されている。地図上の情報であるから、現地の情報が重要であり、現地にあるがままの事実(たとえば、看板や表札、標識)を引き写して表記・表示すればよいのだろうか。また、当該の地物が施設等の場合は、その所有者、管理者が主張・自称する名称や表記が正式なものであるから、それをそのまま寄せ集めて地図上に表記すればよいのだろうか。当然ながらことほど単純にはいかない。電話帳データをばらまいてみても決して地図にはならない。

とりわけ気を使うのが、「略記」ということである。特に地図の密部においては、注記を置くスペースが限られるため、冗長な表記のまま多くの注記を表示すると、同時に表示できる注記量が減ってしまう。また、密部でなくとも、冗長な注記というものは、視認性、識別性を低下させることとなり、特に実用的な用途の道路地図等では情報を素早く読み取る使命に反するものとなる。個々の注記の文字数(文字列の長さ)は、ある一定の範囲に収まっていないとシークエンシャルに注記を目で追いかけたりする際にも障害となる。そして何より、1枚の地図を仕上げる際、統一感を欠いて美しくないのである。公的機関では正式名称が冗長なものが多く、「独立行政法人○○○○○機構○○○○研究センター○○○支所」などというのもあり、特に対応が必要である。こんな長々とした注記がひしめいている地図を見る気になるだろうか。

そこで当社では、地図記号(学校マークや郵便局マークなど)との組み合わせで、さまざまな略記原則を定めている。「○○県○○市立○○小学校」であれば、「○○小」となるし、「○○郵便局」は「○○局」となる。さらに、「東京農業大学第一高等学校」という注記があったとすれば、これは人口に膾炙しているかと思われる「農大一高」とさせていただければ、という塩梅である。

また、「何が正式か」というのも難しい場合が多い。以前、茨城県にある「龍ヶ崎市」については、「龍」の字の表記が問題になったことがある。昭文社では、この種の字形問題については、当用漢字・常用漢字の趣旨に基づき、分かりやすさを重視して簡略字体優先の原則的立場をとっている。また、同じ地名語源に由来する地物については、1枚の地図の上に表示する以上、なるべく統一感をもって表記するのが地図編集者に絶対必要とされる立場でもある。それで、以前は、同市一円の注記について、「竜ヶ崎」といった表記に統一していたこともあるのだが、その後、地元のご意見等を踏まえ、市名、市関連施設についてのみは、「龍」の字に統一する方針としている。しかし、現在でもたとえば市内を通る関東鉄道は路線名や駅名に「竜ヶ崎」を採用しているなど、一筋縄でいかない。

このように、地図編集者にとっては、表示する注記を地図編集の名のもとに統一感を持たせたり略記したりするのが宿命だが、その一方で、当該の地物それぞれには、それぞれの地物にかかわる人々の思いが表徴されているわけであり、その一つ一つの地物が持つ個性や主張の大切さを忘れないようにしなければならない。

ところで、詩人の石垣りん(1920-2004)に代表的詩集『表札など』(1968)があって、その中でも人気の高いのが、ここに掲げた「表札」という詩である。

表札  石垣りん

自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊りする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊まつても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の鑵(かま)にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私はこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない

石垣りん

それでよい。

だれにもおかすことのできない強靭な精神の気高さ、それでいてなんとも清々しい謳いぶりである。筆者自身、くじけそうな時などこの詩を声に出してうたってみると無性に勇気がわいてくる。
そして、地図編集者としては、地図上の個々の地物はすべて「自分の住むところには 自分で表札を出すにかぎる」というアイデンティティを持っているのだ、と密かに自戒するのである。

【参考】
『石垣りん詩集 表札など』(2000年3月:童話屋より復刊)


関連記事

第一回 地図の転位と総描について -道路や鉄道の転位-
第二回 地図の転位と総描について -誇張した表現というもの-
第三回 道路の話(1) ―特に「高速道路」の表現―
第四回 道路の話(2) ―「道路の思想」ということ…国道とは?―
第六回 地図注記の表記について ―「ケ」問題―
第七回 地図が大きく変わるとき(1)
第八回 地図が大きく変わるとき(2)
第九回 これからも伝えたい地図編集の心(1)
第十回 これからも伝えたい地図編集の心(2)


執筆者ご紹介
飯塚新真(いいづか にいま)様
東京生まれ。1986年、株式会社 昭文社入社
編集部都市地図課、大阪支社勤務を経て、地図編集部情報課長、SiMAPシステム部長、地図編集部長を歴任
現在、ソリューション営業本部長