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道路の変化情報を最重要視
民間地図会社では国土のさまざまな経年変化の情報を収集しているが、住所と並んで最重要視しているのが道路の変化情報である。
とりわけ高速道路や国道など重要路線については、常に取材体制をとり、新規開通などの情報を漏れなく収集するよう努めている。
道路については、毎年、毎月、全国各地で多数の変化情報が存在する。たとえば、国道について一つ一つの情報をよく見てみると、通常その全てが
- 国道○○号○○バイパスの○○区間が開通
- 国道○○号の不通区間だった○○区間が開通
- ○○バイパスの開通により国道○○号の旧道部分を国道区域から外す
のいずれかのパターンになっている。
つまりこれら変化情報の「国道○○号」というのはすべて、既存(路線番号が存在する)の路線の変化情報であることが分かる。
見たことがない国道番号が突然現れたり、起終点を越えてその国道が延長したりすることは通常はありえない。
ありえないことが起こった
ところが1992年4月、その通常ありえないことが全国全都道府県で大々的に展開されるとの官報告示が出た。
1992年4月3日付けで、全国一斉に49路線の新しい国道路線(延長3,599㎞)が指定され(新しい国道番号が増えた!)、53路線で起終点が変更(延伸2,462㎞)になった。
一気に6,000㎞の国道が出現することになったのである。施行は1年後の1993年4月1日とされた(図1参照)。
図1:平成5年4月の国道昇格を公布する平成4年4月3日付け官報
いったい何が起きた?!
国道の路線は、道路法に基づいて「政令」で定めることになっている。つまり、国会で定める法律同様の格式である。
公布は、内閣総理大臣名、御名御璽のもとに執り行われる重々しさであるため(図1参照)、路線の指定は五月雨に行われるものではなく、ある程度まとめて行われてきた。
現在の国道路線指定制度になった1965年に222路線(総延長27,505㎞)でスタートして以来、1969年、1972年、1974年、1981年にそれぞれ指定が行われ、そしてこの1992年、11年ぶりの国道追加指定となった。
てんやわんやの日々
我々としてはそれからが大変だった。
道路地図会社としては、1993年4月1日以降に世に出る地図については、確実に新しい路線状況に改められているよう、制作部門総力を挙げて取材と地図修正作業に明け暮れることになる。
当の私は入社間もない頃で、まずは道路法制の仕組みから勉強するようなありさまだった。
なにせ11年ぶりの国家施策だったので、前回の昭和56年の国道昇格を経験したという古参の編集担当者に昔話を聞いたりしながら作業を進めた。
官報告示で各路線の起終点は発表されたものの、それぞれの路線の具体的な地図上でのルートについては、やはり実質的な道路管理者となる各都道府県や指令市に伺わなければならない。各自治体のご担当を訪ねる日々が続いた。
当時はアナログ工程で地図を作っていたので、収集した指定予定路線資料をもとに地図原稿を作り、製図・製版部門に修正を依頼する。
6,000㎞といえば、2.5万分の1の地図上で240mである。修正は、商品ごとに指示するため、同じ個所の原稿を何度も何度も書かなければならなかった。
そうして、1993年年明けから出版する当社の地図類は、なんとか新しい国道路線をすべて取り込んだ新年度版として店頭に並ぶところとなった(図2参照)。
図2-a:マップル全日本道路地図(1:250,000) 昭文社:1992年発行より
図2-b:マップル全日本道路地図(1:250,000) 昭文社:1993年発行より(新たに国道が補入されている)
以降、新規出現なし
さて国道路線の追加指定であるが、1992年の追加指定以来、現在に至るまで行われていない(つまり路線番号はこの時点以来増えていない)。
戦後の我が国道路行政の指針として、国道整備=おおむね50,000㎞という指針があったようで、これが達成されたということなのだろう。
とすれば、ある日を境にして6,000㎞もの新規道路(それも最重要クラス!)が出現するという道路の経年変化情報は、もうしばらくは経験できないのかもしれないなと思う。
【参考文献】
禰屋 誠、1992、一般国道の追加指定について、『道路』6月号(社団法人日本道路協会) 道路行政研究会、平成5年~各年度版、『道路行政』(全国道路利用者会議)