コラム

アイデアと実用化|ニコラス ネグロポンテ氏の未来への提言

本記事は、インフォマティクス創立35周年記念講演会に登壇されたニコラス ネグロポンテ様のご講演「misfits(はみ出し者)」の抄訳を、ご本人のご承諾を得て掲載したものです。

はじめに

本日のプレゼンでは、MITメディアラボで現在進行中の研究や今後予定している研究についてお話しします。

メディアラボにとって日本はとても重要な存在なのですが、このように深い関わりを持つに至った経緯についてもお話しします。

はみ出し者

私も含めメディアラボの研究者は全員はみ出し者です。これは大げさではなく事実です。

はみ出し者というとネガティブな印象を持たれるかもしれませんが、我々は学問の範疇だけでなく一般社会からも幾分はみ出しているのです。

はみ出し者である私がどうしてメディアラボを創設し、20年も所長を務めることになったのかについてお話ししましょう。

私は学校では美術と数学が得意でした。ある日、当時通っていた公立高校の校長先生に「僕は美術も数学も得意で成績も良いので、大学では建築を専攻しようと思っています」と言うと、先生は「私はグレーのスーツやピンストライプのスーツはいいと思うけど、グレーでピンストライプのスーツはどうかな」と言いました。

当時その意味は理解できないまま、大学の建築科に進みました。建築を学んでいる間に、コンピュータに興味を持ち始めました。

その後10年位経って、建築がグレーのピンストライプのスーツと分かり、コンピュータこそがグレーとピンストライプの真の融合だということに気づきました。

私は幸い社会的にも経済的にも恵まれた家庭に育ちました。10代の終わりに世の中を見渡した時、自分が建築やコンピュータの研究をしていられるのは、こういった家庭環境のおかげだと気づきました。

また年を経るにつれ、改善主義(既存のものを少しずつ改善していくやり方)が創造性や革新性を阻む要因であることもわかってきました。

使命と市場の力

私は毎朝起きた時に自分にこう問いかけます。

「今メディアラボでやろうとしている研究は、通常の市場の力でやれることなのではないか?」

答えが「YES」であればその研究は中止します。市場で実現できるのであれば、わざわざメディアラボでやる必要はないからです。

メディアラボで行っているほとんどの研究はメディアラボでしかできないもので、そこに価値があるのです。必ずしも市場で必要とされるテーマを研究するわけではありません。

では、使命と市場との違いは何でしょう?

私がOLPC(ワン・ラップトップ・パーチャイルド)のプロジェクトを始めた時、マイクロソフトやインテルから反論されました。彼らは子どもたちへの支援活動を使命ではなく単純に市場(マーケット)とみなしていました。

私は学生や教育機関には市場を意識しないように言ってきました。世の中のほとんどの活動は市場を意識したものだからです。

とはいえ、市場を気にせず活動できるのは一部の特別な人たちだけができることで、ある種、傲慢とも言えるかもしれません。

投資対効果

何かに投資した際、その効果を測定しなくてはならないのであれば、それはさほど効果がなかったことになります。

なぜなら誰が見ても明らかな効果が出ていれば、測定するまでもないからです。これは非科学的に聞こえますが本当なのです。

財団や非営利団体を運営している人たちと話していて話題が効果測定のことになると、皆さん必ず「私たちの活動内容はすべて効果測定しています」とおっしゃいます。

なので私は「ということは皆さんの活動内容の効果はそれほど大きくないのでしょうね。誰が見ても明らかに大きな効果が出ているのなら、測定する必要はないですからね」と言い返します。

メタ認知

メディアラボのはみ出し者たちがどのようなものの見方をするかについてお話しましょう。

メディアラボではあるテーマで議論する際、その議論を俯瞰してみます。これにより、話す内容や会話の流れが変わることがよくあります。

私たちは会議では細かい点を議論しますが、高い位置から見てみると論点が構造化、抽象化され、論点と論点とのつながりに気づくことがあります。

物事を俯瞰して見る、一つ上の次元で考えるという意味を持つ「メタ認知」はメディアラボで大事なキーワードです。

アイデアと実用化

MITは非常に素晴らしい大学です。前向きな思考、想像力、科学、技術などを駆使して研究する人たちが大勢います。

私は学生時代プログラミングを専攻していましたが、車の走行軌跡を示す地理情報2点を入力するプログラムを作ったことがあります。それは、今で言う配車サービスのようなものでした。

呼んだ場所に車が到着したら始点を入力し目的地に到着したら終点を入力するというように走行軌跡を記録し、車の現在地を管理するプログラムでした。(写真左下)

1965年当時、Uber(ウーバー)はまだ存在していませんでしたが、現在Uberが行っているサービスと同様のものでした。

20171114_1

このサービスの実用化になぜ50年以上もかかったのでしょう?

あるものが未来社会で実現する場合、その要因となるのはアイデアだけではないのです。50年前に存在していたアイデアと、50年後に実用化されたUberとは関係がないのです。

例えば、1976年GPS衛星が打ち上げられ、1989年World Wide Webが誕生し、いくつかのマッピングシステムが統合されました。

歴史の中の出来事は単にアイデアだけで起きるのではなく、さまざまな要因どうしが結び付き、形を変えた結果なのです。

別の例として、ウェアラブル型の3次元ビジュアライズシステムについてご紹介しましょう。

右上の写真は1965年当時のものです。現在の形状になるまで、なぜ50年以上もかかったのでしょう?

当時のヘッドマウントディスプレイは奇妙な形をしていて、頭の上にはよくわからない物がぶら下がっています。こんなに年数がかかったのは、当時はまだコンピュータやディスプレイの情報処理能力が低かったからです。

ハードウェアだけでなく、物を見る時にさまざまな情報を集めて一度に見ることができる技術(=ソフトウェア)を開発する必要もありました。

私の仕事は建築分野からスタートしました。1966年、あらゆるコンピュータに対応した建築設計支援プログラムを開発しました。このプログラミングが縁で長島雅則(インフォマティクスの創業者)と出会いました。

当時長島雅則はMITの学生で、開発したプログラムはディスプレイをライトペンでタッチしながらプログラミングするというものでした。中には素手でタッチの圧力も感知できるハードウェアもありました。

ところが、これは世間からさんざん嘲笑されました。画面を手で触ってプログラミングすることがどんなにばかげたことか、絶対に不可能だという論文もいくつか発表されました。

しかし、当時そんなバカなと思われた技術が、現在では当たり前の技術として普及していることはご承知のとおりです。

20171114_2

ご講演者ご紹介  ニコラス ネグロポンテ様
米国マサチューセッツ工科大学 教授
1985年、ジェローム・ウィーズナー氏と共にMITメディアラボを創設し、以後20年に渡り所長を勤める。
MIT卒業後、CAD研究のパイオニアとして1966年よりMITの研究室に在籍。
TEDトークには1984年の初登壇以降、13回講演。
1995年出版の「ビーイング・デジタル ビットの時代」はベストセラーとなり、40ケ国以上の言語に翻訳。
2005年、発展途上国の児童への教育を目的としたNPO「OLPC(One Laptop per Child)」を設立。
さらに、モトローラ社の役員を15年間勤めたほか、情報・エンターテインメント分野のデジタル技術を持つベンチャー企業への投資も行い、Zagats、WIRED社をはじめ、40社以上の企業設立をサポートした。

※本記事は2017年3月27日現在のご講演内容を元に作成しています。

記事の評価をお願いします!

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

空間情報クラブ編集部

空間情報クラブ編集部です。GISソフトの便利な機能をご紹介する活用講座やGIS用語解説、地図、位置情報、AI機械学習などをテーマにしたコラムを掲載しています。ご意見・ご感想、寄稿、コラボ企画などありましたらぜひご連絡ください。お待ちしております!

-コラム
-

© 2021 株式会社インフォマティクス