こんにちは、インフォマティクスの空間情報クラブ編集部です。
今回は光を旅してみます。
光は最初にあるべきもの
海外旅行に行った際、マサチューセッツ工科大学(MIT) の売店で素敵なマグカップに出会いました。(写真は筆者私物)
マグカップにはこう記されています。
旧約聖書の天地創造物語には
神は言われた。『光あれ。』 こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。
旧約聖書より
と書いてあります。
光は電磁波の一種ですから、電磁気現象を表すマクスウェルの4つの方程式を使って、神がどのように具体的に電磁波を創り出したかを描いたものです。
マクスウェル方程式の意味はまったく分かりませんが、そのまじないのような法則に、何とも言えない神秘性と美しさを感じます。
旧約聖書では天地創造4日目に、神が「大きい光=太陽」と「小さい光=月」に分けたとあります。日本神話でも国生みの神とされるイザナギからアマテラスオオミカミ(太陽)とツクヨミノミコト(月)が生まれています。
この空間を形成する要素として、光は最初にあるべきものなのですね。

光はどこから生まれたか
光とは、電磁波の一種です。逆に言えば、世界にあふれるあらゆる電磁波のうち、人間の目に見えるごく限られた範囲の波長だけを、私たちは可視光線(=光)と認識しています。
この空間には、目に見える光以外にも、その何倍もの見えない光(電磁波)が存在しています。紫外線や赤外線、ラジオの電波、レントゲンのX線などもすべてその仲間です。
こうした見えない電磁波もすべて光の仲間だと考えると、面白い事実に行き当たります。温度のあるモノからは必ず電磁波が出ているため、実は私たち人間の身体からも、常に見えない光が放たれているのです。ひょっとしたら、これがオーラと呼ばれるものや、人の気配を感じさせるものの正体なのかもしれません。
1965年、ベル研究所である電磁波が観測されました。それはなんと、宇宙で最初に放たれた光のなれの果てだということが分かったのです。その最初の光が生まれたのは、ビッグバンから30万年後のことでした。
宇宙誕生から30万年もの間、光が存在しなかったというのは驚きですよね。しかし、宇宙の年齢(約138億歳)から見れば、30万年というのは、宇宙が生まれてから「おぎゃあ」と産声をあげるまでの、ほんの一瞬の時間にすぎないのかもしれません。
それにしても、宇宙最初の光をなぜ「なれの果て」と表現するのでしょうか。
観測されたその電磁波の見かけの温度は、マイナス270℃。絶対零度(マイナス273℃)より、わずか3℃高いだけという極寒の波です。ビッグバン直後の超高温から放たれた最初の光は、宇宙の膨張とともに波長が長く引き延ばされ、冷え切りながらも、130億年以上経った今この瞬間も地球へと届き続けているのです。
空間・人間・時間と光
宇宙の歴史という気が遠くなるような話から、ここで少し、いま私たちの目の前にある「現世の光」に視点を戻してみましょう。もちろん、目に見える光のお話です。
人間の目は、光があるからこそモノの形や色を認識できます。形は暗闇でも手で触れば分かりますが、色だけは光がないと絶対に認識できません。なぜなら、色とは光そのものだからです。
では、その光は一体どこから来るのでしょうか。光源といえば、次のようなものが思い浮かびます。
- 太陽や月、星のように「宇宙の星々」からくるもの
- キャンドルや焚火のように「火」からくるもの
- ホタルや深海クラゲのように「生き物」が放つもの
- 蛍光灯やLEDのように「人工的」に作られたもの
しかし、私たちの空間・人間・時間に存在する光源は、物理的なものだけにとどまりません。
「あの人がいると周りがぱっと明るくなる」という言葉があるように、誰かの笑顔や笑い声、その人の存在自体もまた、立派な光源の一つではないでしょうか。
生き生きとした目の輝きや、髪のツヤ。子どもの存在は希望の光であり、私たちの未来もまた、常に輝いていてほしいと願うものです。光は単に物理的にモノを照らすだけでなく、心に明るさや温かさ、生命力、そして希望をもたらしてくれます。
さて、この光の旅の最後に、キャンプファイヤーの残り火を用意しました。
目に見える薪のあかりと、目に見えない遠赤外線のぬくもり。その両方の光で、あなたの心がじんわりと温かくなっていただければうれしいです。



