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My story|空間情報と歩んだ40年 第5回

インフォマティクス 長島ファウンダーによるコラム第5回です。

日本で会社設立

英国でScott Brownrigg & Turner (SBT) がGDS第1号ユーザとなり、GDS販売が本格的に始まろうとしていた1980年の暮れ、私は一時帰国する機会に合わせてGDSを日本で紹介することを計画しました。

当時GDSはプライムコンピュータ社が販売していた16bitのミニコンピュータ上でしか動かず、日本でデモを見せるにはこのコンピュータを何処かで使わせてもらう必要がありました。

そこで、日本でプライムコンピュータの販売を行っていた日本マーク社の担当者に問い合わせたところ、二つ返事でOKの返答をもらいました。

一方、図面を画面表示するのに必要なグラフィックスディスプレイの販売業者は全く興味を示さず、貸し出しは断られました。

そこでARC社のチェアマン、エド・ホスキンスに相談したところ、たまたま倉庫にあった新品のグラフィックスディプレイを貸してくれるというので、航空便で日本へ送りデモを行いました。当時そのディスプレイは600万円もする高価なものでした。

日本に一時帰国したのは、1980~1981年にかけての年末年始でした。実際にデモを行ったのは、2月上旬の2週間ほど。大学の恩師、内田祥哉先生の人脈のおかげで、デモには設計事務所や建設会社など約40社から多くの方々が見にきてくださいました。

皆さんGDSの素晴らしさに大いに感心していらっしゃいました。うち数社はCADシステムの導入を検討中であり、GDSも候補の1つに含まれていました。

某大手建設会社は、実際の図面をGDSで描いてみたり、GDSの第1号ユーザである英国SBTへ訪問したり、最終デモでは実際に図面を白紙の状態から描いている様子をビデオ撮影したりと半年ほどお付き合いしました。

当初デモだけのつもりが、「GDSを日本で販売する」というビジネスプランが現実味を帯びていきました。

1981年9月、GDSが売れることを見越して会社設立の段取りを進め、準備がほぼ整ったところで、商談成立を期待してその建設会社に行きました。

ところが、担当者から「もう他社のシステムを発注した」と聞かされたのです。

GDSをあれほど褒めていてくれたその会社が他社システムを導入とは!しかし、原因は私のデモにありました。

担当者がビデオを観た時、白紙から図面が描かれていく様子は手に取るようにわかるものの、実際の操作が難しいように見えたそうです。

GDSの不採用は「GDSは(操作に習熟している)長島さんしか操作できないのではないか」という懐疑的意見が大半を占めた結果だったのです。

ビジネスとしてモノを売り込むことの難しさを実感した出来事でした。

「GDSが売れたから会社を設立する」という当初のシナリオが狂い、システムは売れず、会社だけが残ったのです。

会社は、照明機器会社「ヤマギワ電気」と英国ARC社との合弁により「エー・アール・シー ヤマギワ」という社名で1981年9月29日に設立されました。

現会長の三原をはじめ、メンバー数名でのスタートでした。

日本でのシステム販売の大変さ

日本でGDSを紹介してから約1年半後の1982年11月、会社設立後1年にして初受注があり、翌年3月にシステム一式を納入しました。

システム一式を客先に納める場合、受注してから納品まで時間がかかります。英国では、システム受注時に契約金をもらうのが通例でした。

その契約金のおかげで、小さなスタートアップ企業でも高価なハードウェアを調達できるわけです。

当社の顧客は建設業界の企業でしたので、契約金の話を始めると「契約金?それ何ですか?」と言われる始末。

さらに、納品完了後、現金決済のお願いもしていました。建設業界では手形決済が標準でしたので、契約金、現金決済は少々変則的な手続きのようでしたが、この支払い手続きを説明した結果、最終的に応じていただきました。

立ち上げたばかりの小さな会社であったこと、新しいモノを売っているということもあったのでしょう。

現在もそうですが、当時もソフトウェア販売では、コンピュータやグラフィックディスプレイ、プロッタといった周辺機器も合わせて販売し、ハードウェアを定価より安く仕入れ、販売価格から仕入価格を引いた分が売り上げになる方式をとっていました。

ところが、ハードウェア会社によって仕入価格が異なるなど、スタートアップで経験の浅い集団だったこともあり、ハードウェア販売で得る利益は小さなものでした。

順調に事業拡大

それでもGDSの良さが認められ、徐々にユーザが増えていき、大手建設会社、設計事務所、住宅メーカー数社との取引が始まりました。

当時は1案件あたり1~2億円単位の取引でした。時代はバブルが始まろうとする頃で建設業界が上り坂だった背景もあり、数多くの著名なプロジェクトでGDSが活躍しました。

その1つ、1985~1986に行われた新東京都庁舎のコンペ(1988年着工1991年完成)では、数社の応募グループが当社にCGパース制作を依頼してきました。

当社のオフィスで、締め切り前にコンペの案を垣間見ることができたのも、今となっては不思議な気がします。

丹下都市建築設計でもGDSを導入いただきましたが、コンペで採用された丹下氏の都庁案はGDSを使ったものではありませんでした。

しかし、後に制作された竣工図立面図はGDSで描かれ、長いこと当社オフィスの入口横に飾らせていただいていました。

 都庁立面図と私

恵比寿ガーデンプレイス(1991年着工1994年開業、久米設計)の設計でもGDSが使用されました。

この計画の敷地は広く、何棟もの建物が配置されていました。GDSで敷地全体の計画をした時、隣り合った建物の地下部分が重なり合っていたのを、GDSで簡単にチェックできたとのことでした。

ホンダ本社ビルの図面は、1984年に発売されたSVS(SuperViewSystem)3次元カラーシェイディングシステムで描かれました。

当初、CADはシステマテックに設計されるシステムズビルディングにとても有効であると感じていました。

その一例がユニット単位で構成するプレファブ構法の設計にCADが適していると考え、英国のOXSYSに関心を抱いて渡英したことは既に述べたとおりです。

しかし、実際は、複雑な形状の建物を設計する時には当然ながら複雑な形状の図面を描くことになり、CADがその威力を発揮することに気づき、CADの大きな可能性をますます実感することになりました。

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空間情報クラブ編集部

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