~北海道 北見編 1955-1970~
いま、新型コロナウイルスが世界の景色を変えようとしています。
私たちが歩んできた「平凡でなにげない景色」が取り戻せることを願いながら、皆さんもこれまで過ごし色々なことを経験した場所やその空間の色を今一度思い起こしてみてください。
このコラムでは、私が住んだ場所とその空間の色、出会った人たちについてご紹介します。
北見市
北海道北見市は、周りを低い山々に囲まれた盆地です。夏は木々に若葉が茂る爽やかな若草色の世界、冬は一面雪に覆われたモノクロの世界が広がります。
小さい頃、よく自転車で近くの農家に牛乳を買いに行きました。冬は牛乳が入った一升瓶を抱きかかえ、転ばないよう硬雪の上をそろりそろりと歩いて帰ります。柔らかな部分を通ると片足が雪の中に埋まります。するともう片方の足に力が入ってズボズボと食い込むので、瓶を落とさないよう慎重に歩みを進めました。
そんな薄黒い山々に囲まれた雪原に立っている幼い自分を思い起こして、「何かあればまたその場所からやり直せばいい」と自分自身を励ましていた若い日のことを思い出します。
北見市に移住してきたのは、祖父が小さな時分です。父親は晩年関東に居を構えましたので、4代目で北海道の移住は終了したことになり、4代のうち北海道で一生を過ごしたものはいなかったことになります。
上常呂(かみところ) 幼少期を過ごした町
人の移動の頻繁さや距離の長さには驚かされます。私は上常呂で生まれ幼年期を過ごしました。ここには常呂川(ところがわ)が流れており、オホーツク海に面する常呂町(現在は北見市に併合)に流れ込んでいました。
1980年代になると常呂町でカーリングが盛んになり、多くの優秀な選手が育ちました。平昌オリンピック(2018年)の銅メダリストであるカーリング女子日本代表吉田知那美さんがインタビューでこう言っていました。
この町(常呂町)、何もないよね。小さい頃はここにいたら夢は叶わないんじゃないかと思ってました。でも今は、この町じゃなきゃ夢は叶わなかったと思います。
私はこの言葉をとても感慨深い気持ちで聞き入っていました。
私も幼い頃同じような感情を抱き、都会を目指しました。地方では働く機会もスポンサー集めも難しいため多くの選手が地元を離れていきますが、戻ってきて活動を再開した選手たちのチームが銅メダルを獲得した。
これは、どこにでもチャンスはあることを物語っており、地方創生活動の参考にして欲しいと思います。
北見市郊外に引越し
中学1年の夏、上常呂から北見市郊外に引越して、初めて転校を経験しました。新しい家はカエルの鳴き声が聞こえるのどかな場所にありました。
暗くなるまで外を駆け回り、夜はラジオで野球放送を聴きながら寝落ちしてしまうような少年でしたが、15歳の春まで北見市でのびのびした生活を送りました。
北見はばんえい競馬(馬がそりをひきながら力や速さを争う競馬)の盛んな町で、普通のおじさんが自分が飼っている馬で競争に出ている時もありました。
幼い頃、駅まで行く交通手段として馬ソリが使われていました。毛布をたくさん掛けて、馬が荒い息を切らせながら雪道をゆっくり歩む光景も古き良き時代の思い出です。(posted by Shoichi.Mihara)