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数式鑑賞劇場|第7回 ラマヌジャンの公式

π100兆桁世界記録を達成したのは日本人女性

2022年6月8日、円周率計算100兆桁世界記録達成を伝えるGoogle

2022年6月8日、グーグルは100兆桁の円周率の計算に成功したことを伝えました。2019年に同じグーグルによって樹立された31.4兆桁の記録を更新するものでした。プロジェクトリーダーはグーグルエンジニアEmma Haruka Iwao(岩尾エマはるか)、日本人女性です。

このページにおいて、いかにして世界記録がつくられたのか、その詳細なレポートを知ることができます。

  • プログラム: y-cruncher v0.7.8、作者 Alexander J. Yee
  • アルゴリズム: Chudnovsky のアルゴリズム
  • 計算ノード: n2-highmem-128 (128 vCPU と 864 GB メモリ)
  • 開始日時: 2021 年 10 月 14 日(木) 04:45:44 UTC
  • 終了日時: 2022 年 3 月 21 日(月) 04:16:52 UTC
  • 合計経過時間: 157 日 23 時間 31 分 7.651 秒
  • 合計ストレージサイズ: 663 TB 使用可能、 515 TB 使用
  • 合計 I/O: 読み込み 43.5 PB、書き込み 38.5 PB、 合計 82 PB

G(ギガ、109)、T(テラ、1012)そしてP(ペタ、1015)といった単位が最新技術の状況を物語ります。Emma Haruka Iwaoが直接語る円周率計算への思いをYouTubeでみることができます。

Chudnovsky公式

ここで注目すべきなのが「Chudnovskyのアルゴリズム」。Chudnovskyとはロシア出身の数学者チュドノフスキー兄弟(David Chudnovsky & Gregory Chudnovsky)のことで、彼らの円周率を求めるチュドノフスキーの公式がそのアルゴリズムの正体です。

この1994年のチュドノフスキーの公式の元になったのが、1914年のラマヌジャンの公式です。なるほど、2つの式を見比べてみると同じ形をしていることがわかります。ラマヌジャン自身がこの公式で円周率を計算した記録は残っていません。

1985年、ウィリアム・ゴスパーの記録

円周率計算における最大のポイントは収束性の速さです。効率と言い換えてもいいでしょう。少しの計算で多くの円周率の桁が算出(もちろん真値として)できる“早い”公式が求められます。

円周率計算に強い興味を持っていたウィリアム・ゴスパーは次のような公式を発見しました。

1985年、ついにラマヌジャンの公式が使われ円周率が計算され始めます。ウィリアム・ゴスパーは電子計算機を使い、1752万6200桁の計算に成功しました。興味深いことに、この結果のすべてを真値かどうか確かめることはできませんでした。

それでも彼は自身が過去に計算した100万桁と比較することはでき、一致することを確認しました。ラマヌジャンの公式はきっと正しいに違いない!それがウィリアム・ゴスパーの結論でした。

ラマヌジャンの公式の威力

次の計算結果をご覧頂きたい。分母にあるシグマ計算部分上付き、赤字のNはシグマ部分の数列を何項まで計算するかを示します。N=0すなわち1項だけの計算で3.141592(7桁)の真値が得られます。

Nを1つずつ大きくしていくと、約8桁ごと真値が得られていく様子がわかります。これがラマヌジャンの公式の実力です。収束が弱い公式の場合、真値を1桁増やすのに多くのステップの計算を必要とします。これでは円周率計算には使えません。

1987年、ラマヌジャンの公式が証明される

ウィリアム・ゴスパーのこの計算の直後、ボールウェイン兄弟によってついにラマヌジャンの公式の全貌が明らかにされました。論文の中に見つかる「テータ関数の軌跡」「この驚嘆すべき和」といった言葉から、ボールウェイン兄弟の興奮が伝わってきます。

1994年、チュドノフスキー兄弟の公式

かくして、チュドノフスキー兄弟はボールウェイン兄弟の証明をヒントにラマヌジャンの公式の改良に成功しました。それが1994年のチュドノフスキーの公式です。

1989年に彼らは5月に4億8000万桁、8月に10億1119万6691桁という円周率計算世界記録を更新し続けていました。続けて1991年に22億6000万桁の世界記録を更新し、1994年にチュドノフスキーの公式を用いて40億4400万桁の世界記録を達成しました。

チュドノフスキーの公式は1ステップで14桁の真値更新を可能にする点が最大の特徴です。現在進行形でチュドノフスキーの公式が使われている理由がここにあります。

証明を残さなかったラマヌジャン

1914年という年は、ラマヌジャンが南インドからイギリスに渡った年です。ラマヌジャンをケンブリッジに呼び寄せたのがハーディです。

ハーディがラマヌジャンによる奇妙な公式の数々をみて「どうやってこんな公式が発見できたのか」とたずねたのに対し、ラマヌジャンが語ったとされる返答が次でした。

ナマギーリの女神が毎夜毎夜、私の舌の上に数式を書いてくださるのです。

ナマギーリの女神とは南インドの神様で、ラマヌジャンの家の氏神様のことです。ハーディですらラマヌジャンの公式についてほとんど数学的な言及をしていません。いったいラマヌジャンはいかにしてあの神秘的な公式を導き出したのでしょうか。

ボールウェイン兄弟による証明とラマヌジャンが残したノートの計算から分かるのは、ラマヌジャンはすべてを計算していたということです。そこに現れる数学とは、超幾何関数、楕円積分、ルジャンドル関係式、テータ関数、モジュラー方程式といった数論のオンパレードです。

なるほど大がかりで難しい計算過程を証明の形では残せなかったというのが真実だったのではないでしょうか。ラマヌジャンは、証明は残さなかったけれどもすべての計算はしていたということです。

ラマヌジャンの公式を眺めながら、この背後にある驚くべき数学の数々を想像するだけで数学の深遠さに思いを馳せることができます。

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桜井進(さくらいすすむ)様

1968年山形県生まれ。 サイエンスナビゲーター®。株式会社sakurAi Science Factory 代表取締役CEO。 (略歴) 東京工業大学理学部数学科卒、同大学大学院院社会理工学研究科博士課程中退。 東京理科大学大学院非常勤講師。 理数教育研究所Rimse「算数・数学の自由研究」中央審査委員。 高校数学教科書「数学活用」(啓林館)著者。 公益財団法人 中央教育研究所 理事。 国土地理院研究評価委員会委員。 2000年にサイエンスナビゲーターを名乗り、数学の驚きと感動を伝える講演活動をスタート。東京工業大学世界文明センターフェローを経て現在に至る。 子どもから大人までを対象とした講演会は年間70回以上。 全国で反響を呼び、テレビ・新聞・雑誌など様々なメディアに出演。 著書に『感動する!数学』『わくわく数の世界の大冒険』『面白くて眠れなくなる数学』など50冊以上。 サイエンスナビゲーターは株式会社sakurAi Science Factoryの登録商標です。

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