こんにちは、インフォマティクスの空間情報クラブ編集部です。
空間も時間も、それを受け取る人間があってこそ初めて意味のある情報となります。
このコラムでは「空間・時間・人間」をテーマに旅していきます。
目次
水面下に広がる虚像空間
「波の下にも極楽という都がございます」と言って、平時子が安徳天皇を抱いて壇ノ浦の海に入水したというのは『平家物語』の話。
そんな悲劇も含めて、今を生きる私たちも水面に映る「向こう側の世界」に惹かれるのはなぜでしょうか。
湖や池の中に展開される世界は、水面で反射した光を水面下から直進していると勘違いすることにより、あたかもあちら側にあるように見える現象。人間の錯覚であり、物理的に言えば「虚像」。
実際には存在しない空間であり実体のないことは分かっていても、見ていると吸い込まれそうになります。
そして水面下の空間が実物より美しく見えるのはなぜでしょう。まだ見ぬ世界への憧れか、それとも現実からの逃避なのか。
人がそこに何らかの想いを投影することで、より美しく見えるのでしょうか。
憧れが作り出す心象空間
水に映る世界は虚像の空間、虚空間です。
風が吹くと水鏡の世界だけが揺れ動き、風が強くなれば波にかき消え、夜には深淵に沈む。決して手に触れることのできない空間。
しかし、人が憧れの想いを込めてそれを見つめるとき、それは虚しい空間ではなく、確かに存在する意味ある空間となり、実空間よりも確かなものとなって記憶に残るのです。
しかもよく覗き込んでみると、水の中には魚が泳ぎ水草も生えているので、実世界にそっくりな景色でも、別の世界があることに気づきます。
池や湖などの水中には、地上を映し出した景色に加え、確かな命の営みもあるのです。ガラスの鏡に映る瓜二つの虚像空間とは違い、それが人の空想をかきたてる要素でもあります。
バーチャル空間が映し出す実像
「ないものがあるように見える」という意味では「バーチャル、仮想現実」も同じかもしれません。
現在すでに地球の裏側にいる友達ともオンラインで画面越しにFace to Faceで話せますが、そのうち体温を感じながら握手したり、遠い昔に消滅した建築物や自然が鮮やかに再現され、家に居ながら世界中を旅したり買い物できるようになるでしょう。
物理的に離れているのに時間も空間も共有できるなんて、ワクワクしますね。
物理的に言えば、バーチャルで見せているのは実際にそこに光が集まって像を作り出している実像です。実体はなくてもいいのです。
とすると実在するものを映し出しているのが虚像で、実在しないものを映し出すバーチャルは実像なのか。
ちなみにこんな風に池に映る虚像の空想をするのは人間だけなのでしょうか。
骨をくわえた犬が橋を渡るとき、ふと川を見ると同じように骨をくわえた犬(しかも小刻みに震えていて弱そうな犬)がいると思い、ワンと吠えて骨を落としてしまう。
これはイソップ物語『よくばり犬』のお話ですが、犬も水鏡が作り出す空間には思わず我を忘れてしまうのかもしれません。