人間の感覚は不思議です。
たとえば、イヤな臭いのする部屋に閉じ込められたとします。窓を開けて臭い成分の量を半分にしたとしても、私たちは「臭いが半減した」とは感じず「やっぱりまだ臭う」と感じます。
音の感じ方もそうです。私たちの音の感じ方は、大きい音だから大きく、小さい音だから小さく感じることはありません。
コンサートで聴く大音量の演奏も小さな羽虫の羽音も、同じように聴くことができます。つまり、音量の大小に関係なく感じ方は同じです。
このような人間の感覚に数式で表される法則があるとしたら。
目次
ウェーバー・フェヒナーの法則
ウェーバー・フェヒナーの法則は、「人間の感覚の大きさは、受ける刺激の強さの対数に比例する」という基本法則です。
人間の五感への中ぐらいの刺激に対しては、"ちょうど良い"近似となることが知られています。
ウェーバーの法則を弟子のフェヒナーが発展させて導き出したので、ウェーバー・フェヒナーの法則と呼ばれています。
ウェーバーの法則
ドイツの生理学者・解剖学者エルンスト・ウェーバー(1795-1878)は1834年に重さの感覚についての実験を行い、1つの結果を導き出しました。
100gの分銅を手のひらに乗せます。そこに1gの分銅を1つずつ乗せていき、110gになったときの重さの感じ方の変化を覚えておきます。
今度は、最初に1000gの分銅を手のひらに乗せておき、同じように1gの分銅を1つずつ計10g分乗せて1010gになった場合に、100gが110gに増えたときのような重さの感じ方の変化はしません。
これは増えた分の重さ10gの感じ方の変化が、最初に手のひらに乗せていた分銅が100gである場合と1000gである場合とでは違うことを意味します。
1000gの場合、100gをさらにのせて1100gになったときに、100gの場合と同じような重さの感じ方の変化が現れます。つまり、
と、比が等しくなる場合に私たちの感覚の変化量も等しくなるということなのです。
これがウェーバーの法則です。
フェヒナーの法則
ウェーバーの弟子であるドイツの物理学者・心理学者グスタフ・フェヒナー(1801-1887)は、ウェーバーの法則を発展させました。
ここで定量的な考察を行うために、感じ方を感覚量P(感覚Perception)、重さ・音の大きさ・臭い成分の量など外界からの刺激の強度をI(Intensity of stimulation)とします。
重さの増分10gに対する感じ方の変化は、始めの重さが100gか1000gで異なります。
正確には、刺激の強度の増分に対する感覚量の増分は、始めの刺激の強度に反比例すると考えられます。
始めの刺激の強度が100gの場合の増分10gに対する感じ方の増分は、始めの刺激の強度が1000gの場合のそれに比べて10分の1だということです。
すなわち、感覚量Pの増分ΔPは、刺激の強度Iに反比例するということ。そして、そもそも感覚量Pの増分ΔPは、刺激の強度の増分ΔIに比例すると考えられます。
重さの例でいうならば、始めの重さを100gとした場合、重さの増分ΔIが10gから2倍の20gになると、感覚量Pの増分ΔPも2倍になるということです。
したがって、感覚量Pの増分ΔPは刺激の強度Iに反比例し、刺激の強度の増分ΔIに比例することになるので、比例定数をkとおくと次のように表すことができます。
すると、増分ΔP、ΔIをそれぞれdP、dIと置くことでこの関係式は微分方程式となり、積分することでPとIの関係を導き出すことができます。
これがフェヒナーが導き出した結論(1860年に出版)で、現在ではウェーバー・フェヒナーの法則と呼ばれています。
数式のポイントは対数log。
対数についてはこちらの記事で詳しく紹介しました。あらためて大まかに説明すると「対数とはかけ算の回数」です。
たとえば、1000=10×10×10。1000は10を3回かけ算した数なので、1000の対数は3となります。
感覚は鈍感
私たちは外からの刺激に対して鈍感に感じます。
これを定式化したのが、対数を用いたウェーバー・フェヒナーの法則です。
辛み成分の量を倍々にしていっても、カレーの辛さの感じ方は倍々に感じないことからも感覚の鈍感さが分かります。
さらに音の大きさの単位デシベルの成り立ちからも感覚の鈍感さが分かります。
私たちの聴覚で捉えることができる最小の音の大きさを1とした場合、聴くことが可能な最大の音のそれは100万となります。
カレーの辛み成分の量と味覚の場合と同じように、100万倍大きく感じることはありません。
最小音1を0デシベル、最大音100万を60デシベルというように圧縮して表す指標がデシベルです。
ウェーバーとフェヒナーのおかげで、私たちの感覚が定量化できることが初めて示されました。
感覚の本質が圧縮であることを、対数によって明らかにしてみせたことに驚かされます。
いい加減に思われてきた私たちの感覚は、実は本当の意味で “いい(ちょうど良い)加減” だったということです。