コラム 時空の旅

暦(こよみ)とは|歴史や成り立ち

こんにちは、インフォマティクスの空間情報クラブ編集部です。

今回は世界共通の時を告げる情報、暦(こよみ)を旅してみたいと思います。

暦、時を告げるもの

空間と時間と人間を結び付けている「空間情報」の旅。今回はどこに行こうかなと考えていてふとカレンダーを見ると、今日は西暦2024年4月18日。これこそ世界共通の情報。

表記方法や呼び名に違いはあれど1日の長さは世界共通だし、私にとっての2024年4月18日が人によって2000年5月20日や2022年6月10日になることはないはず。

そういう意味では、さまざまな空間情報の中でも暦は最も信頼のおけるものの1つではないでしょうか。

ところが人間の社会生活にとって非常に重要な空間情報であり客観的事実である暦には、非科学的な人間のエゴや思いが込められているのです。

2024年、実は2028年説

まずは年号。

「鳴くよウグイス平安京(794年)」とか「いい国作ろう鎌倉幕府(1192年)」と覚えたこともあって、西暦は昔から存在していたと思いがちですが、世界的に普及したのは15世紀以降。

植民地やキリスト教普及の拡大によるもので、日本に入ってきたのは明治以降なのだそうです。(ということは、徳川家康は、天下分け目の関ヶ原の戦いが西暦1600年の出来事だとは知らない?)

世界史の出来事を並べるのにも不可欠で、今や世界共通語となっている年号「西暦」は、イエス・キリストが生まれた年を基準(元年)として、1年ごとに1がプラスされていきます。

つまり、今年はイエス・キリストの誕生年から2024年目という意味です。しかし、実は肝心の誕生年の計算に間違いがある?

当たり前ですがイエスが生まれた時には西暦はなかったうえに、日記も戸籍台帳もないので、年を特定するのは容易ではないのです。

最近では、この西暦元年が実は4年前後ずれているというのが定説になっています。イエスが生まれたのは紀元前4年であると。

私はそれを聞いたとき、歴史と秩序がそんな不確かでいい加減な情報の上に成り立っているのかとがっかりしました。

大袈裟ではなく、これまで信じていたものが根本から揺らいだような、裏切られたような気がしました...。

西暦の成り立ちを覗いてみたい方は、後述のオプショナルツアー 1「西暦元年の小道」をご覧ください。

ずれていく暦、ちりも積もれば

地球が太陽を一周する時間は365.2422日。

つまり、地球が365回転と約1/4回転したところで太陽を1周し終わっているので、実際の1年は365日より約1/4日ずつ多く、4年では約1日分になります。

そこで 、4年ごとに1日挿入して補正する「うるう年」方式が紀元前46年、ユリウス・カエサル(=ジュリアス・シーザー)によって導入されました。

さすがシーザー、時の権力者。しばらくは自然界と暦の間のずれは問題にならなかったようです。しかし地球の自転と公転のずれは、正確な1/4回転(0.25日)ではないので、実際の公転時間365.2422 日との差は0.0078日あります。

微差ですが、129年積もると1日分になり(0.0078×129=1.0062日)、とうとう1300年で 10日ものずれになっていました。

1582年、ローマ法王グレゴリオ13世が10月4日の翌日を10月15日として、いっきに10日のずれを修正しました。なぜもっと早く修正しなかったのか不明ですが、当時の生活では10日くらいのずれはスルーできたということなのでしょう。

それにしても、一気に10日もスキップするなんて秒刻みで動いている現在のIT世界では考えられませんね。10日間も消えたら、損するような得するような。

今後も1年ごとにずれるんじゃないのと心配の方には、末尾にオプショナルツアー 2「うるうの流れ」をご用意していますのでご覧ください。

1月はどう決めたのか

さて、今回の旅の終わりは「月」。

古代、暦は日常生活や農業などの営みと直結していたため、人間や自然界が活動を開始する春を年の始まりとし、秋で終わっていました。その間を月の満ち欠けによって10か月に分け、ローマ神話の神の名前などを付けていました。

当時の一番目の月はローマ軍神マルス(March、今の3月)でした。その後、冬の2か月にもJanuariusとFebruariusという名前を付け、Marchから始まりFebruaryで終わる12か月ができました。Februariu(February。今の2月)には葬儀という意味があり「終わりの月」を意味していたのです。

そしてユリウス・カエサル(=ジュリアス・シーザー)が年の始まりをJanuary、奇数月は31日、偶数月は30日とし、過不足分は「最後の月」であるFebruary(2月)で調整しました。

さすがのシーザーも、神様の名前が付いた月を調整月とするわけにはいかなかったのかも。しかしこの時、7番月を自分の名前Julyと変えたのを前例に、歴代のローマ皇帝が月の名前を自分の名前に変えたり、2月から1日取ってきて8月に付け替えたりしました。

ほとんどは皇帝の死とともに元に戻されましたが、皇帝アウグストゥス=August(8月)は残っています。権力者というものは何とかして自分の名前を残したいのですね。

日本では卯月、如月、弥生という和名もありますが、ほとんど使われず1月、2月のように数字で表現されるので、「月」も何かしら合理的・数学的・天文学的な根拠で決められたような印象を受けます。

しかし実際は冬は働かない人間の都合やキリスト教の祭事の調整、ローマ皇帝の権力争いの結果など、至極人間的な事情によるものだったりするわけです。

もしいつか、キリストの生年が実は紀元前○○年だったという決定的な証拠や計算が発見されたら、西暦年を修正するのでしょうか?前には戻れないから、それはあり得ないか。

では、3333年後の将来に確実に起こる1日分のずれは修正するかな?その時は、うるう秒の修正や2000年問題どころではなく、世界中のコンピュータがエラーを起こし、電車や飛行機のダイヤは乱れ、オンライン取引もミスだらけになって世界中がパニックに!?

そのころにはコンピュータも電車も飛行機も存在していない可能性があるので、全くの杞憂でしょうか。

オプショナルツアー 1|西暦元年の小道

今から1500年ほど前、ローマ教皇ヨハネス1世より「イエス・キリストが生まれた年」を元年とする新しい暦の策定を委託された、神学者ディオニュシウス・エクシグウス。

イエス・キリストについて書かれたものと言えば聖書だが、聖書は伝記や歴史書ではないので、出来事に対する日付が明記されていない。

イエスが生まれた年を特定できるような記事はないが、十字架にはりつけられて死んだのはユダヤ教の過越祭(すぎこしさい)の頃とあり、それは3月25日であったとされていたので、これを手掛かりとすれば死んだ年を特定できると考えた。

過越祭というのは移動祭日で「春分のあとの、最初の満月の日」と決められているため、年によって日にちが変わる。そして当時、この過越祭の移動は532年で一巡すると考えられていた。

そこでディオニュシウスは、近年で過越祭が3月25日となる年を探し出し、その532年前をキリストが死んで復活した年とした。

さらに、キリストは満30歳で十字架にかけられたという当時の聖書研究者の見解を採用し、さらに31年遡った年をイエスの生誕年、つまり西暦元年とした。

しかしその後、新たな歴史資料の発見や研究により、キリストの誕生物語に出てくるヘロデ大王の在位期間が紀元前4年までと解明したり、十字架刑当時のキリストは30~34歳という説が出てくるなど、計算の根拠や情報の誤りが明らかになってきている。

イエス誕生時に現れたという星がハレーすい星ではないかと再計算が試みられたりもしたが、いまだ特定には至っていない。

よくよく考えると、誤差が4年程度というのは当時の技術や情報量からして、逆に正確と言えるのかもしれない。

オプショナルツアー 2|うるうの流れ

1582年、一気に10日間もの補正を実施した後、新たに制定された「うるう年の新ルール」は以下であり、現在も採用されている。

※初期のプログラマーにとっては、これをいかに短いステップで正確にプログラムするか、良い練習問題でもあった。

  1. 4で割り切れる年をうるう年とする
  2. 上記のうち、100で割り切れる年はうるう年としない →たとえば1900年は平年
  3. 上記のうち、400で割り切れる年はうるう年とする →たとえば2000年はうるう年

この結果、400年間では97回のうるう年が入ることになる。

1年の平均長さは(365日×303回+366日×97回)/400 = 365.2425日となり、実際の365.2422 日に限りなく近い。

しかしこれでも0.0003日の差があり、3333年で1日ずれてしまうが...。

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空間情報クラブ編集部

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