「清少納言知恵の板」、「裁ち合わせ」と続いてきた江戸時代の正方形パズルシリーズ、今回は魔方陣(まほうじん)です。
魔方陣とは
魔方陣とは魔の四角の形をした陣地という意味です。
〇×〇個の正方形の方陣に数字を置いていき、縦・横・斜めのいずれの列についても、その列の合計が同じ数になることをいいます。
通常「まほう」と聞けば魔法と思われるでしょう。魔法陣と間違えてしまっても無理はありません。
でも法ではなく方です。方とは「四角」を意味する言葉だからです。
魔方陣のルール
魔方陣には以下のようなルールがあります。
- 表に1からマス目の総数までの数字を配置し、同じ数字を2度と使わないこと
- 計算結果は紙に書き出されること
最も基本的な縦横3列の魔方陣は、3次の方陣または3方陣とよばれ、縦、横、斜めの和はどれも15です。
3方陣の定和は15であるといいます。
魔方陣の歴史
最も古い魔方陣は中国のもので、漢代の『大載礼記(だいさいらいき)』(紀元前1世紀~1世紀)にあるとされている3方陣。
宗の楊輝の『楊輝算法』所収「続古摘奇算法」(1275年)や明の程大位の『算法統宗(さんぽうとうそう)』(1592年)にも10次までの魔方陣が記されています。
6世紀、インドでは4方陣が香料のブレンドのために使われ、10世紀には2から18を使った3方陣(定和30)が安産のための呪術的医療のために使われたといいます。1356年、ナーラヤナは『ガニタ・カウムニディ』で14方陣まで述べています。
10世紀後半、イスラムの神学教科書の中で9方陣まで示されています。アル・ブーニー(1225年没)は『方陣と占星術の学問についての真珠の首飾り』において7惑星と魔方陣を対比させています。
14世紀、魔方陣はビザンチンからヨーロッパに渡りました。ドイツの画家デューラー(1471-1528)は銅版画「メランコリーI」に4方陣を掲げました。
ドイツの修道士シュティフェル(1487-1567)──√記号の本格的使用で知られる数学者でもある──を数学的に研究しました。
17世紀にはフラン数の数学者フェルマー(1607-1665)、18世紀になるとスイスの数学者オイラー(1707-1783)らが魔方陣の研究を行っています。
日本の魔方陣
日本では、江戸時代に魔方陣の研究が盛んになりました。中国の数学書、朱世傑の『算学啓蒙』と程大位の『算法統宗』の2書が魔方陣研究の発端でした。
関孝和は『方陣円攅之法(ほうじんえんさんのほう)』(1683年)で、魔方陣の一般的解法を日本で初めて展開しました。「方陣」「円攅」(円陣)「格」(方陣のます目)という用語も関孝和によるものです。
関孝和の弟子、建部賢弘(1664-1739)の他、松永良弼(1692?-1744)、久留島善太(1690?-1757)、そして前回の裁ち合わせで紹介した中根彦循の『勘者御伽双紙(かんじゃおとぎそうし)』でも魔方陣は取り上げられています。
魔方陣はルールを変えたバリエーションが多数考案されました。
- 完全方陣
- 対称方陣
- 親子方陣
- 立体方陣
- 完全立体方陣
- 包括方陣
- 星陣 など
以下は円陣と呼ばれるもので、吉田光由『新編塵劫記』(1641年)が初出です。
遺題(解答が見つかっていない読者への挑戦問題)として吉田が載せた円陣の問題の中には、350年後に解決したものもあります。
このように、日本での魔方陣研究は江戸時代の多くの数学者を魅了しました。
パズルとしての入りやすさと、たし算だけの単純なルールにも関わらず、数学の研究にまで深みを持つ面白さがあるからだと思われます。
西洋ではMagic Square
このように方陣が持つ魅力は魔法のようです。西洋ではMagic Square(魔法の正方形)と呼ばれることに納得です。
魔方陣は魔法の方陣、魔法陣と呼ぶにふさわしいといえるでしょう。