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思いを伝える|言葉・音楽記号・地図記号・絵

こんにちは、インフォマティクスの空間情報クラブ編集部です。

今回は情報伝達手段である「思い」を旅してみます。

言葉で伝える

I love you. Ti amo. Ich liebe dich. Je t'aime. 我愛你 愛してます ...。

どれが一番心に響きますか?

どれも言われたら嬉しいし、意味は同じはずだけど、なぜかニュアンスの違いがあるような気がしませんか。

私たちは骨格や肌の色、生活習慣の違いはあれど、生まれてから死ぬまでのプロセスや必要な機能は大差ないのに、気持ちや状況を伝える手段としての「言葉」にはなぜこんなに差があるのでしょう。

言葉が同じだったらもっと理解しあえて、いろいろなことがスムーズに進むのに。

旧約聖書には、人が一致団結して塔を積み始めたのを見た神が、言葉を混乱(バラル)させ、互いの言葉が聞き分けられないようにしたとあります。

バベルの塔の話です。そういう目的だからこそ、必要以上に通じにくい状態になっているわけですね。

それでも人は相手の言葉を理解しようとし、言葉以外のあらゆる手段を使って意思を通じさせようと努力します。

私の知人は、中国のレストランで卵と蟹の絵を書いて混ぜる動作をして「蟹玉定食」を注文しました。

音楽記号で伝える

楽譜に書いてある f, p, rit ... や、andante, legato, allegro ... などという演奏指示。音楽記号、音楽用語として学びました。

いくつか覚えていると思います。f(フォルテ)は「大きく」です。

しかし、もともとこれらは音楽用語でも音楽記号でもありません。交通標識のように誰かが決めたものでもありません。

印刷技術がなかった時代(産業革命以前)には、楽譜は手で書き写すしかなく配布先も限られ、曲想は作曲家が自ら口頭や指揮棒で指示していました。

ところが、印刷技術の発明により楽譜が大量にコピーされ広く配布されるようになると曲がひとり歩きして作曲家が直接指導できなくなったため、「このように演奏してください」という指示を楽譜に書き込むようになりました。

「ゆっくりと」「優しく」「元気よく」「流れるように」など、日常使っている言葉を楽譜に書き込んだのです。

明治時代、日本に西洋音楽が入ってきたとき、指導者は主にドイツ人でした。

「ここに書いてある”Andante"とはどういう意味ですか?」と訪ねたとき、Andante とはイタリア語で「前に進む」という意味なので、ドイツ人先生がこういう感じと言って歩いて見せたところ、それを見た日本人が「歩く速さで」と理解したのだとか。

ドイツ人先生も、ニュアンスを言葉で説明できないので動作で表したつもりだったのですね。でも、それを見た人が違う意味に捉えてしまった。

Andanteはイタリア人にとっては「そこそこ」とか「とりあえず止まらず進んでいる感じ」というイメージであり、速度を表わす意味は含まれていないそうです。

「歩く速さで」と理解していると、日本人は歩く速さがどんどん早くなっているので、ますますニュアンスが離れていってしまうかもしれません。

同様に、f(forte)は、力強さ、思いの深さを表わす言葉です。力強く、あるいは思いを込めて演奏すると、結果として音が大きくなりますよね。それを聞いて「f=音量を大きく」と理解してしまったというわけです。

こうしてみると、単語一つでも真の意図を的確に通じさせるのは難しいことがわかります。

では記号で表現したら的確に意図が伝わるのでしょうか。

たとえばcrescendo(クレッシェンド)を「だんだん大きく」と書かずに「<」と記号で書くと、自然に感情や音量が増していきます。

記号のほうが、クレッシェンドの元の意味である「成長する、ふくらむ」という要素が直感的に伝わります。

地図記号で伝える

私が小学校低学年で「地図のみかた」を習った時 ...。

=畑: うん、これは「おじいさんは畑に芝刈りに行きました」の「畑」だな。絵本に出ていた。

=田: うん、前に「コメができるまで」で習った田んぼだな。教科書に写真が載っていた。

=くわ畑: ?? これはなんだろう?「くわ」って何?地図記号からすると、畑を耕すのに使うアレ(鍬)かな?とりあえず、地面に「鍬(クワ)」が立てかけてあるイメージで覚えておこう。

お蚕農家の方には申し訳ありません。私は桑畑を知らず、本や教科書でも見た記憶がなかったので、当時は全くイメージが湧きませんでした。

「桑」という漢字は小学校高学年で習うので、ひらがなで「くわ畑」と書いてあったのも、私のイメージの貧困さを増長したのかもしれません。

明治時代に整備された地図記号は、見た目を図式化したり絵や文字を図案化したりして、覚えやすくわかりやすいものとして作られました。

くわ畑も桑の木をアレンジしたものです。決して鍬が畑に突き刺さっているのではありません。


大人になって白川郷の廃村で桑畑の跡地を見たとき、脳裏に浮かんだのは桑マークがいっぱい並んだ地図であり、夕焼けを浴びながら桑の実を摘んでいるふるさとの歌でした。

絵で伝える

教会にあるステンドグラスは「教会」という空間を特徴づける大切な要素ですが、元々は装飾が目的ではなく文字が読めない人々のために聖書の話を絵にしたものです。

物語を言葉でなく絵で伝えようとしたおかげで、世界中の人々が内容を理解することができ、素晴らしい芸術を生み、その空間に身を置く者に言葉に依らないメッセージを送ることができています。

これこそ人に語りかける「空間からの情報」の最たるものかもしれません。文字や言葉は左脳で処理し、絵や記号は右脳で処理するといわれます。

同じ情報でも、右脳で処理される方が鮮やかに記憶に焼付き、直接的に心に響きます。目は口ほどにものを言う。

文頭の「愛してます」の言葉を並べるより、目や表情、動作でサインを送る方が効果があるかもしれません。

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