コラム

My story ~空間情報と歩んだ40年~ 第3回

8月 3, 2015

インフォマティクス 長島会長によるコラム第3回です。

英国ARC社での就職に向けて

1976年の春、MITのマスターコース修了を控え、いよいよ就職先を見つけなければいけない時期になり、私は同年1月に訪問したARC社にどうしても働きたいので雇ってもらえないかと手紙を出しました。(当然ながら、当時電子メールはありません!)

しばらくして長い返事が届きました。なかなか理解できないイギリス英語の文章を友達に読解してもらったところ、どうやら「No」という内容。そのやりとりを2、3回繰り返したものの「Yes」の返事はもらえないまま卒業の時期が迫ってきました。

そんな時、卒業後6月~9月の4ヶ月間、私を雇うため特別に9500ドル(1ドル=300円)の研究費をNegroponte教授が調達してくれました。

以下は、Negroponte教授がMITの研究室のニュースレターに記した文です。

(エネルギー推定機能を追加する目的でMAS(私(長島)のあだ名)を雇い入れるため、エネルギー研究所から9500ドルの研究資金を獲得した。今後4ヶ月にわたる彼の研究により、最も優れたCADシステムの1つが世に出ることになるだろう。我々は皆、彼には超人的なプログラミング能力があるため、すばらしい成果を大いに期待できる。)

その9500ドルのうち半分以上はMITの経費として引かれたものの、残りの額でTechnical Assistantとして雇ってもらうことになりました。このようなタイミングで働けたことについて、大変ありがたく思いました。

その後9月に入り、やはりARC社で働くことが諦められないでいる時に、Negroponte教授がこれからどうするのかと聞いてきたので、ARC社で働きたいと思っていると正直に答えました。

その時はまだARC社から「Yes」の返事をもらっていませんでしたが、私の気持ちを知って教授が3回ARC社に電話をし、最終的に「Yes」の返事をもらうことができました。

教授は私にそれを伝える際、こう付け加えました。「ただ問題が2つある。イギリスは天気が悪いことと、ARC社の給料が低いことだ。」私はこれを冗談だと思っていましたが、のちに冗談ではなくそのとおりだということがわかりました。

とにかくARC社で働きたいという一心で突き進んでいましたが、年収は£3000(日本円で約150万円)。当時MITの卒業生であれば、どこにいってもその3倍くらいの収入が約束されていたと記憶しています。

晴れてARC社に入社

私は日本には帰国せず、アメリカからそのまま渡英しました。

1976年10月末、ガトウィック空港に到着した時のこと。入国審査での決まり文句のやりとりで、

空港の係官「イギリスに来た目的は?」
私「仕事をするためです」
観光目的という答えを想定していた係官は、にわかに真剣な顔になり、
係官「労働許可証は?」
私「えっ?労働許可証って何ですか?」
という問答になりました。

同年1月には何の問題もなく英国に入国できたのですが、今回は就労目的なので入国には労働許可証が必要だったのです。このときそれを初めて知ったのでした。

控え室で待っている間、係官はARC社に電話し事情を聞いていました。ARC社のスタッフが係官を必死に説得してくれて、最終的に一年間の労働許可証を発行してもらえました。

現在なら「不法就労」で自国へ強制送還させられるところ。当時はサッチャー政権に移る前の労働党の時代で、古き良き時代だったのも幸いしたのでしょう。この一件は、「あやうくMASが刑務所に入れられるところだった!」と後々までARC社で語り草になりました。

無事ARC社に到着したものの、どうして私を雇うことになかなかYESといってくれなかったのか、社の台所事情が段々とわかってきました。

同年春に社員3名を解雇し、カンパニービスケット(給湯室に常備するおやつ)代もカットせざるをえない厳しい経営状態だったのです。ARC社は、今でいう「スタートアップ(ベンチャー)企業」だったのです。

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空間情報クラブ編集部

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