変わりゆく住所表示を追う
「地図というのは、経年変化がつきもの。生ものみたいなものだ」とはよく言われることである。
たしかに、道路地図の構成要素を見てみると、全国の各地で道路、鉄道、公共施設、道路沿道の目標物となるロードサイド店舗など常時さまざまな経年変化が生じている。
そうした中にあって、道路地図会社でとりわけ重要視している要素の一つが住所表示の変更情報である。
日本における住所の表示は、おおざっぱにいうと①「大字・小字(町)+地番」といった地籍に準拠した方式(仮に「地番方式」)という。
例:東京都町田市金森9847-23など)、②「町名+街区符号+住居番号」といった街区・街路を基準とした方式(仮に「住居表示方式」)という。
例:東京都町田市金森東8-23-6など)の二通りが存在するが、この半世紀の間に地名表記の変化にとりわけ大きな影響を与えたのが②の「住居表示方式」である。
「住居表示方式」による住所の表示は、「住居表示に関する法律」という法律に基づいて各市町村により実施されているが、この法律が公布・施行されたのは、1962年(昭和37年)であった。
それまで日本の住所の表示は、おおざっぱにいって「地番方式」だけであったが、この法律が施行されて以降、全国一斉に「住居表示方式」への変更が展開された。
実際、東京都心部の文京区や武蔵野市では、昭和40年代初頭には、市区域の全域が「住居表示方式」へ変更されている。
大字・町丁目はもちろん地番レベルまですっかり塗り替わってしまうのだから、大変なことである。
ここでは、昭文社で発行していた都市地図帳「ニューエスト 東京」から、1964年発行と1980年発行の図面からのキャプチャーを例示しておきたい(図1)(図2)。
図1:1965年発行「ニューエスト東京」(昭文社発行):小平市付近より
図2:1980年発行「ニューエスト東京」(昭文社発行):小平市付近より
1980年には市区域の全域が「住居表示方式」に変更された。
記憶すべき地理情報の変化
ちなみにこの過程で、特に東京都心部では、江戸時代以前からの由緒あるとされる大量の地名が住所の表示としては使われなくなり、後になって賛否が問われていることは周知のとおりである。
1962年といえば、昭文社が1960年に創業してから2年目のこと。
当社はまず数点の都市地図、道路地図の出版から開始し、それを一気呵成に全国展開する出発点に立っていた。
私の生まれた頃のことであるので、居合せたわけではないが、全国で「住居表示方式」による住所表示、地名表示の変更が目白押しになっていたはずだ。
この当時の利用者からの新しい地図への需要は、ひとかたならぬものがあったに違いない。
この「住居表示方式」による各行政による住所表示の変更であるが、本来であれば、およそ都市域においては1962年の法律施行から速やかに(おおむね10年程度以内か?)実施されるはずだった。
しかし東京都心部の市区等は速やかに移行したものの、お役所仕事の通例にもれず、その他の地域ではそう簡単に事業は進まなかった。
全国的な実施のピークは1970年代にあったが、その後は収束するも予定地域全域には至らず。
それで現在でもあちこちの自治体ごとに、少しずつ実施が継続しているのが現状である。地図会社としては、根気よくそれら変化情報の収集に努めているところである。
地図会社として振り返ってみると、2000年代における平成の市町村合併も地図内容を一新する大規模な経年変化であったが、これら一連の「住居表示方式」による住所表示の変更こそ、ニュータウン造成に伴う町名設定等とともに記憶すべき地理情報の変化だったのではないかと思う(図3)。
図3:1987年発行「ニューエスト愛知」(昭文社発行)にはさみ込まれた「お知らせ版」
全国各地で住居表示方式での実施が相次ぎ、印刷に間に合わなかった変更箇所については、しばしばこのような紙片による「お知らせ版」がはさみ込まれた。
【参考】
・地図と住所の関係については、筆者による下記の記事を参照
(マップルコラム 「これまでの地図 これからの地図」)
・住居表示に関する法律(昭和三十七年五月十日法律第百十九号)