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数値標高モデル(DEM)と地図の歴史|DEMの歴史と未来 1

DEMとは

DEMとは数値標高モデル(Digital Elevation Model)の略で、各種測量法で計測された平面位置(2次元)および標高値を用いた3次元座標をデジタル表現したものである。

デジタル標高モデルと呼ばれることもあり、一般にデジタル地形モデル(DTM:Digital Terrain Model)と同じ意味で使われる。

DEMの分析ツールは、GIS(地理情報システム)の機能の一部として搭載されていることが多い。

なお、DEMと似た用語に以下のようなものがある。

  • 数値地形モデル(DTM:Digital Terrain Model)

DTMは地表面の標高からなる3次元データのことで、建物や樹木等の高さは含まない。

  • 数値表層モデル(DSM:Digital Surface Model)

DSMは地表面とその上にある地物表面の標高からなる3次元データのことで、建物や樹木等の高さを含む。

地図の歴史

等高線情報のない地図

DEMのルーツは手描き地図(紙に書かれた地図)である。有名なのが伊能図(大日本沿海輿地全図)で、当時としては非常に正確であったといわれている。

具体的には、伊能忠敬が歩いて測量した箇所、例えば海岸線、街道の位置などは当時としては驚くほど正確である。

ただしその間の部分、例えば山などは遠望で位置を確認した山頂などを除き、単なる絵にすぎない。したがって「このあたりに富士山がある」ことはわかるが、富士山の高さ分布はわからない。

このように長年、紙の地図(もっと古くは石や粘土版に描かれた地図)は平面(XY)の情報しか持っていなかった。絵としては高さが表現されても、高さ情報(Z)が入っていなかった。

伊能忠敬が中心となって作製した日本全土の実測地図「伊能図」。
大日本沿海輿地全図(だいにほん えんかいよち ぜんず)とも呼ばれる

等高線情報のある地図

1782年、フランスで等高線を使って陸地の高さを示した地図が歴史上初めて作成された。

狭い地域を対象にしており、XYを測る方法(三角測量)は確立されていたが、そこにZを入れるのがいかに大変だったかがわかる。

以降、等高線を使うことにより地図上で高さも含めた地形をきちんと表現できることが認識された。

20世紀に入ると写真測量の技術が発達した。ステレオ写真測量に使う機械が欧米人により開発されたが、これは異なる方向から同じ場所を撮影した2枚の写真を使って高さを含む位置情報を取得する技術である。

1911年には、写真測量を使ってヨーロッパアルプスの一部の等高線が描かれた。山で地べたを這うような測量を行って等高線を描くのはとても大変なことだが、写真測量機器のおかげで随分楽になった。

以降、これが地図作成の標準的な方法となり、国土地理院も含め写真測量で地図を作る時代が何十年も続いた。

メッシュ

等高線の入った地図が普及する過程で、これに格子をかけることを思いついた人がいる。格子をかけて、格子の1つ1つについて地形を表現する値を求める。

そうするとメッシュ地図のようなものができ、地図を表現するのに良いということになった。その典型例の1つが起伏量図である。

起伏量図は、地図に格子をかけて格子内の最高点と最低点を読み取って作成するが、これは普通の紙地図上で比較的簡単にできる作業である。

高低差が大きいところに濃い色を付けたりすると、どこで起伏が大きくどこで小さいかが客観的にわかる。

旧国土庁は県別に調査をして基本的な地図を作ったが、その中に起伏量図がデフォルトとして入っている。

1930年には寺田寅彦が地形図に格子をかけて傾斜を求めた。寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉で有名だが、日本地理学会の地理学評論という雑誌にも論文を発表している。

地形図に格子をかけ、格子の上にさらに円を描き、その円を交差する等高線の数を数えて、それを傾斜に換算する方法(寺田法)を用いた。

数値標高モデル(DEM)の登場

地形図とグリッド

1950年代になると、格子をかけるという発想は同じだが、格子点の高さを読み取り、その高さを数値の配列としてコンピュータに入れてDEMを作成するようになった。

これは単純な発想だが、背景としては1930年頃からコンピュータが出てきて、徐々に発展していたことがあげられる。コンピュータは最初は軍事用などに使われていたが、この頃になるとIBMが商品として売り出し始めた。

コンピュータで使うデータは、画像でも画面でもxy値を用いて配列しているので、地形もそれと同じ表現がよいのではないかということになった。

1960年代終わり頃には、DEMから傾斜角や傾斜の方向を計算するという論文が出てきた。3x3の範囲にある全部で9個の標高値を使って、最初に水平方向(x軸方向、東西)の傾斜の成分を求め、次にy軸方向(南北)の傾斜の成分を求める。

2つの成分が出れば、それらから傾斜の方向や絶対値が決まる。これは古典的だが今のGISにも搭載されている機能である。

たとえばインフォマティクスのGISソフト「SIS」のカタログに掲載されている「グリッド解析機能」は、DEMなどのデータを解析する機能である。

現在のGISソフトのメニューには極めて普通に傾斜などの計算の機能が入っているが、その基礎が1960年代にできていた。

DEMによる陰影図

古い地図学の本などには手書きの陰影図が出ている。プロフェッショナルに地図を描ける人がいると、こういう芸術的な表現ができた。

一般の人が地形を理解する際には、等高線よりもこういう表現がわかりやすいが、これを職人芸ではなくコンピュータでできないかという発想が1960年代くらいから出てきた。

1967年にイスラエルのヨエイリ氏がDEMから地形に影を付ける表現に関して行った実験の論文がある。

陰影図の縮尺を2万分の1にすると、影は付いているが粗すぎて地形表現にならない。しかし、5万分の1であればだいぶリアルな感じに見える。

この時代にはDEMのダウンロードやCDからの入手はできず、自分で地図から標高を読み取ってDEMを作った。私自身も1980年代には、研究のために125m解像度のDEMを地形図から作った。

ちなみに10年くらい前に陰影図に関する論文を書いたが、それを読んだヨエイリ氏から「自分の発想を応用してくれてうれしい」というメールが送られてきた。ヨエイリ氏について検索してみたところ、テルアビブ大学の名誉教授であることがわかった。

アメリカの地質調査所は日本の国土地理院のような仕事も行っており、地理院の地図も作成している。1991年に、解像度800mくらいのDEMと大きなコンピュータを使って米国全土の陰影図を作った。

これをポスター大の紙に印刷して売り出したところ、当時の人々は非常に驚いた。最初、これはいったい何だという議論になり、月面のように見えるので白黒のリモセン画像じゃないかなどと憶測された。

この陰影図で地形が良く分かるので、以後、アメリカの大学の地理や地質の教室に、このポスターが貼り出されるようになった。

米国全土の陰影図
(データ出典:U.S. Geological Survey Miscellaneous Investigations Series Map I-2206 1991)

日本でも1980年代には旧国土庁が解像度250mのDEMを整備した。1990年代になると中解像度(数十m)のDEMが先進国で出てきて、日本でも数値地図の50mメッシュ標高データが使われ、自分も大変お世話になったが最近発売中止(品切れ)になった。

今は10mメッシュのDEMが自由にダウンロードできるようになったので50mは不要なのだが、一時代が去ったという感じがある。

【記事について】
コンピュータ上で立体地図を表す際の基本データとしてよく使われる数値標高モデル(DEM)。この数値標高モデルについて、3回にわたりご紹介しています。(本コラム記事は、空間情報シンポジウム2014東京会場に登壇された小口高様のご講演「デジタル標高モデル(DEM)の歴史と未来」の内容を、ご本人の承諾を得て記事化したものです。ご本人の所属・肩書はご講演当時のものです。)

執筆者ご紹介 小口高(おぐちたかし)様
東京大学 空間情報科学研究センター センター長 教授
(略歴)
専門は、地形解析、地形発達史、土砂生産・輸送、水質、古環境復元など。
1963年長野県出身。東京大学理学部と同大学院で地形学を学ぶ。1998年の東京大学空間情報科学研究センターの発足時より同センターに勤務。2009年より教授。2014年よりセンター長に就任

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空間情報クラブ編集部

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