地図マニアな日々

地図に描かれた謎を解く

前回は、いかに生活景観が地図で再現されているのかという、地図の「再現力」を確認したが、今回は地図に描かれている景観にどのような背景があるのかを読み解く楽しみを紹介してみたい。探偵よろしく、地図に描かれた暗号を読み解くイメージで。

下目黒の謎のカーブ

まずは東京都目黒区下目黒にある謎のカーブ。住宅街の中の何の変哲もないカーブではあるが、周囲の道路とはまったくシンクロしない不自然な形ともいえる。どうしてわざわざこのような形にする必要があったのか。

下目黒の謎のカーブ(地理院地図)

現地の景観はGoogleストリートビューで確認できる。まったく普通の住宅街だ。実は昔の姿にヒントがある。終戦直後に米軍により撮影された航空写真を見てみよう。

謎のカーブの正体(地理院地図)

何やら大きな競技場の跡らしきものが写っている。
実はこれは目黒競馬場の跡地である。目黒競馬場は1907年から1933年までこの地にあり、その後府中市へ移転して、現在の東京競馬場になった。1932年に第1回日本ダービーが開催されたのは、実はこの目黒競馬場だった(ちなみに優勝馬はワカタカ)。

この競馬場のカーブの形状の名残が、現在の道路の謎のカーブというわけだ。付近には「元競馬場」というバス停があり、馬の銅像も設置されている。余談だが毎年東京競馬場で開催されている「目黒記念」というレースは、この目黒競馬場の名を冠したものだ。

南千住の大きな区画はなぜ?

東京都荒川区南千住の南千住警察署が建つ区画。周囲は下町らしい住宅密集地だが、その中に不自然なほど大きな区画としてとられている。ここにも何らかの訳がありそうだ。

南千住警察署付近の地割(地理院地図)

では古い航空写真を見てみよう。まずは終戦直後の米軍写真。

千住製絨所(地理院地図)

実はこの区画には「千住製絨所」という明治時代に建てられた、被服生地を製造する官営工場があった。終戦後は民間企業に売却されたが、業績不振により1960年に操業停止している。この不自然な大きな区画は官営工場がルーツだった。

東京スタジアム(地理院地図)

さらにその後この土地は映画会社大映に買収され、同社が所有していたプロ野球チーム「大毎オリオンズ」(現・千葉ロッテマリーンズ)の本拠地として東京スタジアムが建てられる(その北側に移っているのは浄水場)。

しかしその大映も経営破たんし、球場は1972年に閉鎖、現在は南千住警察署の他、荒川総合スポーツセンターが設置されている。何とも歴史の集約された場所である。

船橋のミステリーサークル?

千葉県船橋市にある行田団地。地図を見ると団地や公園を囲むように円形の道路が目に入る。変わった都市計画だな、と思わなくもないが、実は1970年代に当時の住都公団が団地を整備する前からこの円形道路は存在する。誰が何のために作ったのか。

船橋市行田団地の円形の外周道路(地理院地図)

終戦直後に撮影された米軍航空写真でもこのサークルは確認できる。周囲とは一線を画す地割となっている。

海軍無線電信所(地理院地図)

実は、ここは船橋海軍無線電信所の跡地である。太平洋戦争の真珠湾攻撃の際に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電文を送信したことでも知られ、戦後は米軍が接収、その後1966年に返還された。現在は記念碑が残り、外周道路とともに当時の名残をとどめている。

駒沢オリンピック公園は由緒正しい場所にある?

東京都の世田谷区と目黒区にまたがる駒沢オリンピック公園。もともとは1940年に開催されるはずだった幻の東京オリンピックのメイン会場だったが、第二次世界大戦の戦局を鑑みて返上された。

戦後はプロ野球チーム「東映フライヤーズ」(現・北海道日本ハムファイターズ)の本拠地となった駒沢球場が設置され、1964年の東京オリンピックではサブ会場として使用された。この公園にも面白い過去がある。

現在の駒沢オリンピック公園(地理院地図)

1936年に撮影された航空写真を見ると、ゴルフ場らしきものが写っている。

1936年撮影の航空写真ではゴルフ場が(地理院地図)

実はこの場所には「東京ゴルフ倶楽部」という、摂政宮時代の昭和天皇が英国の皇太子であるプリンス・オブ・ウェールズ殿下との親善ゴルフをプレーした由緒正しいゴルフ場があったのだ。現在の感覚からすれば、東京23区内にゴルフ場があったこと自体が驚きでもある(現在の23区内のゴルフ場は河川敷コースか埋立地のみ)。

浮間公園の秘密

東京都の北区と板橋区にまたがる浮間公園。ほとりに風車が建つ浮間ヶ池の姿が美しい公園で、釣り人の姿も多い。

北区と板橋区にまたがる浮間公園(地理院地図)

ここになぜ池があるのか、その答えが1936年の航空写真にある。

荒川の蛇行(地理院地図)

実はここはもともと荒川の流路だった場所なのだ。かつての荒川は、大きく蛇行しながら流れていた。昭和に入ってから河川改修により直線化されたが、撮影当時はまだ旧流路が残っている。

このあたりの荒川は東京都と埼玉県の境にあたるため、川が蛇行していた頃は、現在の北区側は埼玉県だったということになる。浮間が池は、荒川が蛇行していた当時の流路の名残というわけだ。ちなみに浮間舟渡駅(埼京線)は当時の荒川の真上に建っていることも確認できる。

くねくね境界の謎

最後は北海道に飛んでみる。札幌市と石狩市の境界が妙にくねくねしていて違和感がある。なぜこんなややこしい境界を設定したのか。

札幌市と石狩市の境界(地理院地図)

その理由は、古い航空写真を見れば一目瞭然となる。

札幌市と石狩市の境界(地理院地図)

両市の間を分ける発寒川は、現在こそ河川改修で直線化されているが、航空写真が撮影された1960年代はまだ改修前で、蛇行しながら流れていたのだ。この当時の流路が境界になったため、河川が直線化された現在の地図では違和感を覚えるのである。

こうした旧河道で境界を設定して、河川が直線化された後に境界だけがくねくねと残るケースは全国にあるので、ぜひ探してみていただければ。

ぜひ皆さまも地図に描かれたさまざまな「異形」を探し、推理を楽しんでいただけますよう。

執筆者ご紹介  遠藤宏之(えんどうひろゆき)様
地理空間情報ライター(地図・地理・測量・GIS・位置情報・防災)、測量士、GIS NEXT副編集長
著書:『三陸たびガイド』『地名は災害を警告する』『首都大地震揺れやすさマップ』(解説面)『みんなが知りたい地図の疑問50』(共著)他