人と星とともにある数学 第26回

標準

2018年3月30日


地図と数学 伊能忠敬を支えた数学

子午線測量の副産物が日本地図

紀元前236年にプトレマイオス3世によってアレクサンドリアの図書館長に任命されたエラトステネス(前284-192頃)。シェナの町では夏至の日に太陽の光が井戸の底に届くことを知ったことをきっかけに、地球の大きさを求める方法を思い付きました。エラトステネスがはじき出した子午線弧長は46250km。現在の40000kmと誤差約16%。時に紀元前195年。2018年現在、人類は地球を測り続けています。真実の数値を手に入れるために。

江戸時代、わが国でも地球の大きさを知りたいと願い、それを実現した人がいました。49歳になったその男は、家業を長男に譲り江戸に出て行きました。幼い頃からの夢であった天文学の研究をするために。江戸で天文学・暦学の学者であった30歳の高橋至時(よしとき)の門人になった男は、至時から天文学・暦学を学ぶうちに、当時の中心的課題であった「1度の子午線弧長」に強い関心を抱くようになりました。

彼は当初、浅草と深川の2地点で北極星を観測して、緯度の差が0.1度であることを突き止め、2地点の距離が2kmであったことから1度の子午線弧長を算出しました。しかし、至時に「2地点の距離が短いので信用できる数値ではない」と厳しい指摘を受けます。もっと離れた2地点間の測量の必要性を悟った彼が選んだのは、江戸から遠く離れた蝦夷地でした。そこで、彼は日本地図を作成するための測量をしながら蝦夷地まで行くことを思い立ちました。

55歳になった男は、寛政12年4月(1800年6月)に江戸を出発。最初の測量から算出した1度の子午線弧長は27里でしたが、至時の信用を得ることはできませんでした。さらに蝦夷地までの測量を続けて、ついには28里7町12間(110.749km)を得ました。これから算出される子午線弧長は110.749km×360=39869.64km。40000kmとの誤差は3/1000という驚くべき結果でした。

はたして男は1800年から1816年までの17年間をかけて全国を測量。『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上初めて国土の正確な姿を明らかにした男こそ伊能忠敬(1745-1818)、その人です。わが国では、地図といえば伊能忠敬、伊能忠敬といえば地図というほどに、「伊能忠敬=地図」と一般に思われています。しかし、忠敬のメインテーマは「1度の子午線弧長」であり、「日本地図」はサブテーマだったのです。

忠敬が測量で歩いた距離はおよそ4万km。それは忠敬自身が算出した地球の子午線弧長と等しい地球1周分。すべての測量を終え、江戸に戻った忠敬に残された仕事は、誤算の計算と日本地図を完成させることでした。しかし、地図の完成を目前に病に倒れてしまいました。享年、73歳。弟子たちは、日本地図が忠敬が作成したことを知らしめるために、師の死をひた隠し誤算計算を続けます。かくして『大日本沿海輿地全図』は完成しました。

忠敬の測量と地図作成を支えたのが当時の数学です。忠敬の地図作成メンバーにいたのが算聖 関孝和を開祖とする一大流派、関流のメンバーたちでした。石黒信由(1760-1837)はその一人です。そして、関流以外に忠敬に協力した数学者がもう一人いました。20180329_3

1955年発行の切手

忠敬の数学を支えた数学者、会田安明(あいだ やすあき)

私の生まれ故郷は山形県で、現在は世田谷区在住です。おもしろいことに、忠敬と世田谷と山形がつながります。

伊能家は現在、東京都世田谷区にあります。世田谷区の伊能家には多くの忠敬についての資料が残されており、2006年に『世田谷伊能家伝存 伊能忠敬関係文書目録』(安藤由紀子、伊能陽子編集)が発行されました。その資料の中に、興味ある人物と内容を見つけることができます。

・忠敬直筆の三角法図解
・忠敬直筆の米相場問題
・渡辺慎(会田安明の実子であり忠敬の筆頭弟子)から伊能妙薫(忠敬の長女)への書簡

これらの資料から、忠敬自身の数学への関心そして数学者会田安明とのつながりが見えてきます。会田安明(1742-1817)は山形生まれの数学者で、江戸期最大の和算流派である関流に対抗して最上流(さいじょうりゅう)を打ち立てました。故郷に流れる最上川がその名の由来です。

楕円・円の幾何学的研究、連分数展開などに業績を残し、測量・航海術にも関心を持っていました。忠敬と安明のつながりは千葉県佐原市にある伊能忠敬記念館に保存された資料からも見つけることができます。

・谷以燕(会田安明の弟子)から忠敬への書簡 忠敬が対数表の便利さを書いた書簡を谷に送っておりその返信
・市野茂喬(会田安明の弟子)から忠敬への書簡 1度の子午線弧長についての記述

忠敬自身の数学への関心と安明との結びつきが浮かび上がってきます。伊能忠敬から数えて7代目の子孫である伊能洋さんは、次のように述べています。

「伊能家はもともと大和の国の出で、元は侍でした。下総に移って、最初は大栄町伊能というところに住み、それから佐原に落ち着きました。忠敬は10代目に当たりますが、18歳で婿養子に入りました。忠敬の生家は九十九里の網元でしたが、7歳の時に母を亡くしたこともあり、少年時代の記録というものはないので、ドラマなどでは貧乏で不遇な少年として描かれることが多いのですが、実際にはそんなことはなかったと思いますよ。伊能家に入ってからは、豊富な蔵書にも恵まれて、天文学や数学など独学で勉強していたようです。和数字の対数表が残っていてびっくりしました」(社会福祉法人 はばたき福祉事業団のインタビュー記事から抜粋)

忠敬の夢は、数学とともに進んでいきました。世界最高精度の日本地図を完成させたのは、ひとえに忠敬の「地球の大きさを知りたい」という強い願いです。関孝和や会田安明が切り開いた世界を凌駕する江戸の数学が彼の願いをバックアップしました。

本連載で私が言い続けている「星と人とともにある数学」。忠敬の日本地図はそのことを物語ります。

私は伊能忠敬と会田安明の関係を知る以前、平成19年に安明が生前に著した600巻を超える著作が保管されてある山形大学附属図書館を訪問していました。20180329_2

写真左手は山形県和算研究会の奥山安男氏、右手は筆者


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執筆者ご紹介  桜井進(さくらいすすむ)様
1968年山形県生まれ。
サイエンスナビゲーター®。株式会社sakurAi Science Factory 代表取締役。
(略歴)
東京工業大学理学部数学科卒、同大学大学院院社会理工学研究科博士課程中退。東京理科大学大学院、日本大学芸術学部非常勤講師。
理数教育研究所Rimse「算数・数学の自由研究」中央審査委員。高校数学教科書「数学活用」(啓林館)著者。
2000年、日本初のサイエンスナビゲーターとして数学の驚きと感動を伝える講演活動をスタート。
東京工業大学世界文明センターフェローを経て現在に至る。