misfits(はみ出し者)1

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2017年11月8日


本記事は、インフォマティクス創立35周年記念講演会に登壇されたニコラス ネグロポンテ様のご講演「misfits(はみ出し者)」の抄訳を、ご本人のご承諾を得て掲載したものです。

はじめに

本日のプレゼンでは、MITメディアラボで現在進行中の研究やこれから行おうとしている研究についてお話しします。また、メディアラボにとって日本はとても重要な存在なのですが、このように深い関わりを持つに至った経緯についてもお話しします。メディアラボと日本とが深いつながりがあることをご存知ない方が多いかもしれませんが、現所長が日本人なので、現在はもちろん今後も一層日本と関わりを深めることになるでしょう。

はみ出し者

私も含めメディアラボの研究者は皆んなはみ出し者です。これは大げさではなく事実です。はみ出し者というとネガティブな印象を持たれるかもしれませんが、我々は学問の範疇だけでなく一般社会からも幾分はみ出しているのです。はみ出し者である私がどうしてメディアラボを創設し、20年も所長を務めることになったのかについてお話ししましょう。

私は学校では美術と数学が得意でした。ある日、当時通っていた公立高校の校長先生に「僕は美術も数学も得意で成績も良いので、大学では建築を専攻しようと思っています」と言うと、先生は「私はグレーのスーツは好きだしピンストライプのスーツも好きだけど、グレーのピンストライプのスーツは好きではない」と言いました。当時その意味は理解できませんでした。そして、大学の建築科に進みました。建築を学んでいる間に、コンピュータに興味を持ち始めました。その後10年位経って、建築がグレーのピンストライプのスーツと分かり、コンピュータこそがグレーとピンストライプの真の融合だということに気づきました。

私は社会的にも経済的にも恵まれた家庭に育ちました。10代の終わり頃に世の中を見渡した時、自分が建築やコンピュータの研究をしていられるのは、こういった特別な家庭環境のおかげだと気づきました。また年を経るにつれ、増分主義(インクリメンタリズム:過去の実績をベースに新しいものを少しずつ積み上げていくやり方)が創造性を阻む要因であることもわかってきました。

使命と市場の力

私は毎朝起きた時に自分にこう問いかけます。「今メディアラボでやろうとしている研究は、通常の市場の力でやれることなのではないか?」答えが「YES」であればその研究は中止します。市場の力で実現できるのであれば、わざわざメディアラボでやる必要はないからです。メディアラボで行っているほとんどの研究はメディアラボでしかできないもので、そこに価値があるのです。必ずしも市場によって提示されるテーマを研究するわけではありません。では、使命と市場との違いは何でしょう?

私がOLPC(ワン・ラップトップ・パーチャイルド)のプロジェクトを始めた時、マイクロソフトやインテルから反論されました。彼らは子どもたちへの支援活動を使命ではなく単純に市場とみなしていました。私は学生や教育機関に市場は意識しないように言ってきました。世の中のほとんどの活動は市場を意識したものだからです。とはいえ、市場を気にせず活動できるのは一部の特別な人たちだけができることで、ある種傲慢とも言えることかもしれません。

投資対効果

何かに投資した際、その効果を測定しなくてはならないのであれば、さほど効果がなかったことになります。誰が見ても明らかな効果が出ていれば、測定するまでもないからです。これは非科学的に聞こえますが本当なのです。財団や非営利団体を運営している人たちに効果測定のことを聞くと、「私たちの活動は効果測定を基本としています」と皆さんおっしゃるので、私は「皆さんがやっている活動はさぞかし小さいのでしょうね。誰が見ても明らかに大きな効果が出ている活動であれば、いちいち効果測定する必要はないですからね」と言い返します。

視座を上げる

さて、メディアラボのはみ出し者たちがどのようなものの見方をするかについてお話しましょう。メディアラボではあるテーマで議論する際、俯瞰して議論そのものについて議論します。これによって、話す内容や会話の流れが変わることがよくあります。私たちは会議では非常に細かい点について話し合いますが、高い位置から見ると、議論と議論のつながりに気づくことがあります。この「視座を上げる」という言葉は、メディアラボではとても大事なキーワードです。

アイデアと実用化

MITは非常に素晴らしい大学です。前向きな思考、想像力、科学、技術などを駆使して研究する人たちで満ちています。

私は学生時代プログラミングを専攻していましたが、車の走行軌跡を示す地理情報2点を入力するプログラムを作ったことがありました。そのプログラムは、今で言う配車サービスを行うものでした。呼んだ場所に車が到着したら始点を入力し目的地に到着したら終点を入力するというように走行軌跡を記録し、車の現在地を管理するプログラムでした。(写真左下)1965年当時、Uber(ウーバー:全世界で展開されている配車サービス)はまだ存在していませんでしたが、現在Uberが行っているサービスと同様のものでした。20171114_1

このサービスの実用化になぜ50年近くもかかったのでしょう?あるものが未来社会で実現する場合、その要因はアイデアだけではないのです。アイデアは既に50年前に存在し、そのアイデア自体と50年後実用化されたUBERとは関係ないのです。例えば、1976年GPS衛星が打ち上げられ、1989年World Wide Webが誕生し、いくつかのマッピングシステムが統合されました。歴史の中の出来事は単にアイデアだけで起きるのではなく、さまざまな要因が結び付き形を変えた結果なのです。

別の例として、ウェアラブル型の3次元ビジュアライズシステムについてご紹介しましょう。右上の写真は1965年当時のものです。現在の形状になるまで、なぜ50年もかかったのでしょう?ヘッドマウントディスプレイも当時は奇妙な形をしていて、頭の上にはよくわからない物がぶら下がっています。50年もかかったのは、当時はまだコンピュータやディスプレイの情報処理能力が小さかったからです。また、ハードウェアだけでなく、物を見る時にさまざまな情報を集めて一度に見ることができる技術(=ソフトウェア)を開発する必要もあったからです。

私の仕事は建築分野からスタートしました。1966年、あらゆるコンピュータに対応した建築設計支援プログラムを開発しました。このプログラミングが縁で長島雅則(インフォマティクス社 会長)と出会いました。当時長島雅則はMITの学生で、開発したプログラムはディスプレイをライトペンでタッチしながらプログラミングするというものでした。中には素手でタッチの圧力も感知できるハードウェアもありました。ところが、これは世間から嘲笑されました。画面を手で触ってプログラミングすることがいかにばかげているか、どうやっても不可能だとする論文もいくつか発表されました。しかし、当時全くばかげていると思われた技術が、現在は当たり前の技術として普及していることは皆さんもご承知のとおりだと思います。20171114_2


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ご講演者ご紹介  ニコラス ネグロポンテ様
米国マサチューセッツ工科大学 教授
1985年、ジェローム・ウィーズナー氏と共にMITメディアラボを創設し、以後20年に渡り所長を勤める。
MIT卒業後、CAD研究のパイオニアとして1966年よりMITの研究室に在籍。
TEDトークには1984年の初登壇以降、13回講演。
1995年出版の「ビーイング・デジタル ビットの時代」はベストセラーとなり、40ケ国以上の言語に翻訳。
2005年、発展途上国の児童への教育を目的としたNPO「OLPC(One Laptop per Child)」を設立。
さらに、モトローラ社の役員を15年間勤めたほか、情報・エンターテインメント分野のデジタル技術を持つベンチャー企業への投資も行い、Zagats、WIRED社をはじめ、40社以上の企業設立をサポートした。

本記事は2017年3月27日現在のご講演内容を元に作成しています。