時空の旅 ~空間と時間と人間~ 第12回

標準

2013年11月6日


今回は奥行きにまつわる旅です。

第12回 ~奥の深い話・・

今回の「空間情報の旅」はどこへ向かおうかな…。空間を漂ってみようか。時間をさかのぼってみようか。
それとも人間の内面を覗いてみようか…。 そう考えながら、手元にある写真を眺める。

私の「空間情報の旅」の出発は、いつも写真から始まる。なぜならそこには空間・時間、人間に関する情報がたっぷり詰まっているから。 単なる状況の記録だけでなく、その場面や感情の記憶や想い出…。その場所に行くまでの時間の流れ…。時には匂いや手触り、声なども再現されて、いつでもその場所、その時間に飛んで行ける。まさに「切り取られ、凝縮された空間情報」である。

故郷は、遠くにありて思うもの

…そうやって眺めていて、ふと気づいたことがある、写真は平面なのに、どうして「奥行き」を感じるのだろう。そちらに歩き出せば、あるいは手を伸ばせば、写真の向こう側に入り、ずっと奥まで行けそうではないか!
改めて現実の世界を見てみる。いつものオフィスや街など、見慣れた景色だが、見えているモノの前後関係や自分との距離は、ほぼ正確に推し測ることができる。これは「遠近感」というもので、生まれつき備わっている能力のように思えるかもしれないが、実は先天的に与えられたものではなく、後天的に、学習や訓練で習得したものなのだそうだ。

つまり、見えている景色という「目から入った空間情報」を、脳で加工して解釈して、はじめて「遠近や位置関係」が認識できるのだそうだ。小さいときに視力を失っていた人が大人になってから視力が回復しても、遠近感だけはどうしても習得できなかったというケースもあるそうだ。

私たちの網膜に映っているのは、写真と同じ、単なる2次元の平面の像にすぎない。にもかかわらず、奥行という3次元の世界を感じるのは、子供の頃から蓄積された経験や五感、筋肉など運動感覚をも総動員して脳が「そのように」処理しているせいなのだ。 たとえば、

1. 近くを見る時と遠くを見る時で異なる、眼球の形の情報。
2. 2つの目からインプットされる画像の角度の違い。
3. 光の強弱。色の濃淡。
4. 見知っているものの大きさとの比較。遠くにあるモノは小さく見える。

など、過去の体験や経験、学習から得られた情報によって、遠近を判断しているのである。 たとえば、③の例。私たちは、遠くにあるモノは霞んで見えることを経験則から知っており、そこから逆に「かすんで見える(光が弱い)ものは遠くにある」と判断するのだ。

下の写真では、同じ青色なのにその濃度の違いにより、海よりも山、山よりも空が遠くに見える。おかげで、写真に奥行が生じている。 ちょっと横道にそれるが、この写真を見た時、日本人ならまず海(湖)と山だと思うだろう。しかし砂漠の真ん中に住んでいる人や海を見たことのない人には、ただの青い色のグラデーションにしか見えないかも。これも、脳にある記憶という情報のなせる業である。

「遠近感」と「遠近法」~どちらが先か?

カメラが発明され写真が撮れるようになったのは19世紀。それ以前は空間情報を写し取る手段は「絵」であった。人間がこの世界で君臨できたのは「言葉を話す能力」と「絵を描く能力」のおかげだという。言葉と絵は、他の動物を圧倒する、高度なコミュニケーション手段というわけだ。

しかし、昔の壁画や浮世絵などは、距離感や前後関係がうまく表わせていない。遠近感は皆無とさえ言える。 また、小さな子どもが描く絵では、太陽も電車もお母さんも同じ大きさだし、奥行を表すような絵を描くことはできないし、しない。 昔の壁画や絵や子どもの絵は、「何をしているところか」「これはだれか」という情報が大切なのであって、奥行という情報は必要ないのだろうって? 確かにそれは一理あるが、実は、奥行きという情報を持たせる「手法」を知らないのである!

今、3Dが流行っている。3Dプリンターのように実際の立体模型を出力するものもあれば、実際にはないものをあたかもそこに存在するかのように立体感をもって見せるなど、さまざまな技術が試みられ、利用されている。600年ほど前、3Dと同じくらい流行ったのが、絵に奥行き感を与えるという「線遠近法」という技術である。今では小学校でも習う手法であり、当たり前すぎて、それが「手法」なのだと言われても逆に理解しにくいが、この画期的な手法は前期ルネッサンス時代に発明され、レオナルド・ダ・ヴィンチも夢中になったと言われている。有名な「受胎告知」や「最後の晩餐」にも線遠近法が使われている。私たちはこの「遠近法」を習得することにより、絵や写真から奥行きを感じることができるのだ。

さて、下に皆さんもよく知っている花が並んでいるが、これを1枚の絵だとすると、ちょっと違和感を感じるだろう。 なぜなら、実際の花の大きさが、ひまわり > チューリップ > スズラン であることを知っており、スケール尺度が違うのに、それが一直線上に並んでいるように見えるので、遠近感を狂わされるからである。

私たちの脳は、前述したように「④遠くにあるモノは小さく見える」という経験則で判断するので、こんなふうに描けば、まあまあ、居心地が良くなる。

では次に、この絵に奥行を与えている「あるもの」を消してみる。

この絵を、ヒマワリやチューリップは知っているのにスズランの実物を見たことのない人が眺めると、「スズランというのは巨大な花なんだなあ」と思うだろう。実際、江戸時代に、羊を見たことのない日本人が、西洋からもたらされた羊の絵を見て、羊というのは猫ぐらいの大きさだと思ったという話がある。実は、この羊の群れは広い牧場の遠くにいたものだったので、小さく描かれていたのである!

私の手持ちの写真にも、遠近感のつかみにくい写真がある!何の加工もしていないが、見た感じよりも意外に低いらしい鉄塔や、銅像に比べて2倍ほども高い電柱、寝そべっている牛の大きさ感が、なんとも遠近感を狂わせる原因なのでは? それはこのタイプの鉄塔や電柱はこのぐらいの高さ、とか、銅像はこのくらいの高さ、などという常識や先入観にとらわれるからなのだろう。また、牛の実物を近くで見たことがない人には、牛の群れが自分からどの程度離れているのか、ちょっとつかみづらいですね。
雲も、普段見慣れているより低い位置にあるので、高低差が分かりにくいのも一つの原因です。

遠近「感」が先にあったのか、遠近「法」が先なのか、もはや分からなくなっているほど、私たちの脳は、空間情報からのインプットを経験則に照らし合わせて瞬時に処理して認識している。 が、そのために容易に錯覚や錯視、勘違いなどをも引き起こす。逆に言えば、錯覚を利用して、平面に「奥行」を感じているとも言える。

山の彼方の空遠く…

では、今日の旅の終わりに、こんな写真を。この景色に奥行きを感じるのはなぜか、自分の脳に、よく訊いてみましょう。向こうの山までの距離感は掴めましたか? そこに、幸いが住むことを願って…。


関連記事

第1回 虚像の空間
第2回 現在、過去、未来・・
第3回 美しいもの ~魔法の数字?
第4回 心地よいもの ~1/fゆらぎ
第5回 たかが色、されど効果は・・!
第6回 言葉 ~「思い」という情報を伝えるもの~
第7回 暦 ~時を告げるもの
第8回 時(とき) ~ロマンチックな堅物~
第9回 耳から受け取る情報 ~音
第10回 点、線、面
第11回 そして「光」があった