時空の旅 ~空間と時間と人間~ 第8回

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2013年5月31日


今回は時(とき)を旅してみたいと思います。

第8回 時(とき) ~ロマンチックな堅物~

「あなたは、時間が通り過ぎるのを見たことがありますか・・?」
このコラムの第1回から一緒に旅してきた読者には、筆者がどちらかというと理系であり、旅人を標榜しているわりには、さほどロマンチストではないことがおわかりになると思います。
それでも、もし「時間が通り過ぎるのを見たことがありますか?」と聞かれたら、私は迷わず「はい」と答えるでしょう。

何年も前のある日、思いがけない幸せな状況に巡り合い、あまりの嬉しさに「時間が止まってほしい!」と思った瞬間、私の傍らを、ゆっくりと、しかし確実に時間が通り過ぎていくのが見えました。

私は黙ってそれを見つめるしかありませんでしたが、だからこそ、この一瞬一瞬を大切にしよう、と思ったのでした。実際は時が過ぎるのが見えたと思っただけ、あるいは風が渡っただけ、自分の鼓動が聞こえただけ、なのかもしれません。でも今でもはっきりと、時間が過ぎていくのが見えた、あの瞬間を思い出すことができます。

柄にもなくロマンチックな話になりましたが、それは置いておいて、今日は「時」を旅してみたいと思います。では出発。

時間の間隔

物事に集中したり夢中になったりすると、よく「時間の感覚がなくなる」と言いますが、それは「感覚」というより、時間の「間隔」がなくなっている状態と思います。
時間は1秒単位、1分単位、1日単位など一定間隔をおいて刻むもの。だからこそ、5分と50分では物理的に10倍の長さの違いがある。でも、その刻みがなくなれば、時間はあるひとかたまりとして認識されるだけですので、楽しく過ごした時間とか、あっという間の時間とか、果てしなく長い時間・・という認識になります。刻みのない時間。間隔のない時間。感覚のない時間。

また、歳を取ると時間の経つのが早い、と言います。子供のころに比べると一年なんてあっという間。ついこの間お正月だったのに、もう年末?・・なんてこと、ありますよね。
でもそれは「一年」という時間の、その人の人生における重み・割合・価値の差に他なりません。

例えば7歳児にとって一年は自分の人生の「7分の一」。この夏は人生7回目の夏。70歳にとっての一年は人生の「70分の一」。この夏は70回目の夏。その重みや価値、感じ方、新鮮味に10倍以上の差があるのは当然でしょう。
でも!人生の残りの時間はそうではありません。100歳までの残りの時間を考えると、7歳児にとって次の一年は残り93分の一。あと93回、夏が来る。70歳にとっては30分の一。なんと貴重な一年、そして夏でしょう!時の経つのが早い、なんて言っている場合ではありませんね。

デジャヴ(Déjà vu)

「あれ?この場面、確かにどこかで体験したことがある・・。でもいつ?どこで?」「あ、絶対これと同じことが前にもあった。でも思い出せない・・」。不思議なこの感覚、既視感。フランスの心理学者が最初に本に書いたのでフランス語「デジャヴ」(Déjà vu=すでに見た)が世界共通語になっていますが、実際かなりの人が経験しているといわれています。原因は特定されていませんが、空間情報の旅人としては見逃すことのできない現象です。デジャヴの原因が夢であれ、無意識下の記憶であれ、脳の一時的な混乱であれ、実際に存在する空間情報の何かが、人の記憶脳の何かを刺激していることには間違いがないのです。

この道はいつか来た・・。この丘もいつか来た・・。

それは何でしょう? デジャヴ感を引き起こすその原因は、懐かしい景色?色?匂い?声?手触り?トータルな雰囲気?・・。今度、デジャヴに出会ったら、そっと身の周りの空間情報を一つ一つチェックしてみることにしましょう。不思議なその感覚の原因となった「過去の記憶」は一体、どの情報なのか・・。その情報の傍らを「時」がほほ笑みながら過ぎていくのが見えるようです。

「時」は、きっちり・かっちりの理系人間の私をも、夢見るロマンチストにしてしまう魔力があるようです。カッチカッチと規則正しい音を立て、堅物な科学者のふりをしながら、人をあっという間に悠久のかなたに誘い、現実と非現実の間を自由に行き来させてしまうのです。

1秒の長さ

しかしてここで理系人間の本領を発揮して、時間の定義について見てまわることにしましょう。
一日の長さは地球の自転、一年は地球が太陽の周りを一巡りする公転の長さ。これは自然界のことだから自動的に決まるとして、問題は一日の中をどのように区切るか、になります。現代の感覚だと10等分するかもしれませんが、最初に暦を作った古代バビロニアでは12進法や60進法が使われていたので、一日の長さを12×2=24時間に区切り、さらに1時間の長さを60進法で分に、さらに1分を60進法で秒にわけました。これで「1秒」の長さが決まったわけです。
ところでこの「一秒一秒の積み重ね(86,400秒)が一日」なのではなく、一日を86,400に区切ったものが一秒なのだ、という考え方、生まれた時からカチ、カチ、という秒針の音に親しんできた私たちには意外に理解しにくいものではありませんか?
でも古代には時間も分も秒もなく、ただ地球と太陽があるだけ。日が昇って日が沈む、その繰り返しがあるだけ。

それを、昼と夜に分けましょう、さらに12個に区切りましょう、さらに60個に区切りましょう・・という、長い長い時を経て人間の生活に便利なように時の単位を決めていったのですね。そして最終的に一秒の長さが決まった・・と。

ところがその後(といっても、ほんの半世紀前のこと)、この計算の元(もと)となる肝心の一日の長さが、日によって違うことが判明しました。地球は意外に気紛れで、ある日はくるりと素早くまわるが、ある日はノロノロと・・。と、そこまで極端ではないにしろ、潮汐力による地球の角運動量、大気や海流による循環摩擦、地震など大きな運動エネルギーによる慣性モーメント変動など様々な原因や不確定要素によって、自転速度は一定ではないのです!第4回の旅「ゆらぎ」を思い出しますね。そこでよりブレの少ない1年の長さを測り、それを365.2422日と24時間と60分と60秒に分けた長さを1秒とすることになりました。1年が365.2422日であることは第7回「暦」への旅で見てきましたね~。

1秒の長さ=1年の長さ÷(365.2422日×24時間×60分×60秒)ということです。

しかし!その「1年の長さ」って、どうやって計るの?地球の自転のわずかな差を問題にするぐらいなのだから、正確に1年の長さを測らなければ・・。ということで、当時発明されたばかりの原子時計が使われました。原子時計は振り子時計に比べて圧倒的に正確な時を刻むし、他の要素の影響をうけません。
かくして原子時計によって1年(1太陽年)の長さが測られ、1954年、国際度量衡総会で『1秒=1太陽年の1/31,556,925.9747』と決められました。

そして1967年、その原子時計の正確さから、「秒の定義」は地球の自転や公転から計算するのではなく、以下のような量子力学的定義に改定されました。
それは 1秒の長さを
「セシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移に対応する放射の9 192 631 770周期の継続時間」
とするものらしいですが、う~む!ここまでくると何のことやら・・。
セシウム原子が約92億回プルプルと何かを放射すると、秒針がカチッと1つ進む、という感じですかね・・。古代バビロニアの人が聞いたら目を丸くして笑い出しそうですね!

時を刻む

さて、旅の締めくくりに、お土産を買って帰りましょうか。お、このお菓子は12個入りだ。3×4個にきれいに箱詰めされているし、これを買って帰ろう・・。そうそう、「10」が2と5でしか割り切れないのに対し、「12」は、2でも3でも4でも6でも割り切れて、とても便利な数字なのです。60は、2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30で割り切れますね。それで古代バビロニアの人々はこの便利な数を好んで使っていたのです。

丸いケーキも10等分するのは難しいけど、12等分なら簡単!

このように、時(とき)には、「それをどのように刻むか」という点において、先人たちの知恵と必要が詰まっています。もし16進法を使って時間を刻んでいたら、一日は32時間あったかもしれません。その場合、1時間は短く、日常生活がもっとせわしないものになるかも。逆に1日を10時間に分けていたとしたら、1時間が長くなるので、「あ、あと1時間しかない!」と思う感覚も、今とはずいぶん違うものになるでしょう。

こうして考えてみると、私たちの生活のリズムは「時(とき)」という1つの空間情報に大きな影響を受けています。時(とき)を腕につけるようになってからは、余計に時間に縛りつけられ、左右され、翻弄されることもあります。
たまには腕時計を外して、セシウム原子の振動と関係のない「時間」を過ごしたいですね。
では最後に、目をつむって10秒数えてみてください。今日のあなたの10秒はいつもよりも早いですか?それともゆっくりですか?


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